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ブックマーク / himaginary.hatenablog.com (4)

  • 有力経済学者の一団がアベノミクスに対する集団訴訟を提起へ - himaginary’s diary

    の有力な経済学者のグループが、安倍内閣の経済政策を巡って集団訴訟を起こすことが明らかとなった。取材に応じたグループの代表は、「安倍内閣は、一昨年末の発足以降、我々日を代表する経済学者の主張を無視し、日のことなど良く知らない海外ないし海外在住の経済学者の主張をまともに取り入れた政策を実施してきた。その結果、昨年1年間にわたってアベノミクスと称する放漫な金融財政政策が行われ、日経済に甚大な被害がもたらされた。我々はこれまで言論を通じて繰り返しその危険性を訴えてきたが、そうした形での訴えの限界が明らかになってきたため、学者としては当は取りたくない道ではあったが、今回やむなく裁判という手段に訴えることにした」と語る。アベノミクスにも失業率の低下など一定の成果はあったのでは、という記者の問いに対し、グループの別の経済学者は「それこそが問題。日経済が正しく落ちる道を落ちきることこそが真の

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  • 私がオックスフォードで学んだこと - himaginary’s diary

    と題してクリス・ディローが、およそ30年前に学んだことで今も有用だと考える点として以下の6項目を挙げている。 経済学はメカニズムの研究であり、モデルの研究ではない。問題は、どういったメカニズムでXがYに影響するかだ。それは時と場所によって異なる。従って、課題とすべきは、(単に)モデルを解くことではなく、どれが我々の現状に最も関係しているのか、と問うことなのだ。 経済理論には歴史があり、それを勉強するのは有益なことだ。その中には、現代経済学が解くことなく放置した問題がある。 経済学は単独で研究することはできない。経済学について真剣に考えると、いずれは必ず政治的な問題にぶち当たる。それは権力の質という問題だったり、合理性の質といった哲学的ないし心理学的な問題だったりする。 読者を退屈させてはいけない。「最初の優れた一文で私の興味を掻き立てろ」とブライアン・ハリソン*1は生徒に言ったものだ。

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  • ゲーム理論は直接的には現実に応用できない - himaginary’s diary

    とイスラエルのゲーム理論の大家アリエル・ルービンシュタインがThe Browserインタビューで述べている(Mostly Economics経由)。 その内容を簡単にまとめると以下の通り。 ゲーム理論というネーミングで、フォン・ノイマンは数学だけではなく広報宣伝での天才ぶりを発揮した。そのネーミングにより、何か単純なものが経済危機や核抑止力政策といった複雑な状況に応用できるという幻想を人々に抱かせた。自分の見方は同僚より極端かもしれないが、ゲーム理論は現実に直接応用できるという主張には与しない。 自分が比喩として良く用いるのは論理学。論理学は哲学や数学の興味深い一分野ではあるが、それがより良い人生を送る助けになるという幻想を抱いている人はいないと思う。良き裁判官は論理学を習得している必要は無い。論理学はコンピュータ科学の発展に役立ったが、友人との討論や、裁判官、市民、もしくは科学者として与

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  • 各国プログラマーのステレオタイプ的分類 - himaginary’s diary

    タイラー・コーエンが、なぜソフトウエアでは一物一価の法則が成り立たず、米国や日企業は自国の高いソフトウエア技術者を使い続けるのか――香港やシンガポールや中国ではもっと安価で雇えるにも関わらず――という一読者の疑問をブログエントリ化した。それに対し250を超えるコメントが付いたが、予想される通り、ソフトウエア開発においては単なるコーディングだけではなく、発注元と発注先とのコミュニケーションが重要なウェイトを占めるのだ、という指摘が相次いだ。その中で、各国のプログラマをステレオタイプ的に寸評したコメントが少し面白かったので、以下に訳してみる: Well, while we are being rude let me speak… It’s not the individuals of course, but the culture. And culture is why Americans

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