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![長年の蜜月にピリオドか。レプソル、ホンダMotoGPとのスポンサー契約を今季限りで終了へ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8242967620c0b7f564300b229951fcc7cd58b426/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-5.motorsport.com%2Fimages%2Famp%2F6D1XJGK0%2Fs6%2Fluca-marini-repsol-honda-team.jpg)
2023年のロードレース世界選手権(MotoGP)のMoto3クラスでは、Leopard Racingのジャウマ・マシアと、Liqui Moly Husqvarna Intact GPの佐々木歩夢によるチャンピオン争いが繰り広げられた。しかしその決着のつき方は波紋を呼ぶこととなった。 ポイントリーダーのマシアは終盤2レースを残し、佐々木に対して13ポイントのリードを築いていた。そして迎えたカタールGPで、佐々木とマシアは序盤から先頭集団で走行していた。 3周目、ターン6を先頭で抜けようとした佐々木に対し、後続のマシアがインから飛び込んだ。マシアは一旦倒したバイクを起こすような動きを見せて佐々木と接触。佐々木は行き場がなく、ふたり揃ってポジションを落とした。 その後、再びトップ争いに返り咲いたふたりであったが、残り10周で先ほどのリプレイかのようなシーンが飛び込んできた。マシアはターン6で先
F1日本GPの取材には、世界各国から数多くのメディアが取材に訪れ、世界各国に情報を発信している。彼らの目には、圧倒的な強さでレースを制したレッドブルのマックス・フェルスタッペンの強さも強烈に映っただろうが、それ以上に日本のファンの素晴らしさが印象に残ったようだ。 英国オートスポーツのF1ライターであるジェイク・ボクソール-レッグが、F1日本GP後にコラムを寄稿。日本のF1ファンの素晴らしさを世界に伝えた。 ****************** 私が育った2000年代初頭、F1は痛ましいほどにニッチなスポーツだった。日曜日の午後にテレビの前に座り、必要以上に速いクルマが行き交うのを眺めるのを好む人は、実に稀なことだった。しかも開催地は、地球上の遠く離れた異国のサーキット。レースの中継こそ地上波で見ることができたが、ニュース番組でF1に関する報道がなされるのも稀なことだった。 今ではF1の人気
平川は2024年から、マクラーレン・テクノロジー・センター(MTC)でのシミュレータ開発、旧型マシンであるMCL35Mを使ったテストプログラムでのサーキット走行などでマクラーレンF1チームをサポートする。 平川はマクラーレンでの仕事と並行して、引き続きTOYOTA GAZOO RacingからFIA世界耐久選手権(WEC)にも参戦するという。 「マクラーレンF1チームのリザーブドライバーとして参加できることをうれしく思います」 そう平川はチームのリリースにコメントを寄せた。 「このような尊敬すべきチームと一緒に仕事ができるのはエキサイティングなことで、このチャンスを与えてくれたザク(ザク・ブラウン/マクラーレン・レーシングCEO)とアンドレア(アンドレア・ステラ/チーム代表)に感謝しています」 「すでにチームに会い、MTCでシミュレーターを体験したことで、すぐに走り出すことができました。2
野田はEFO参戦1年目ながら、6月にポール・リカールで行なわれた第4ラウンドではレース1で初優勝。上り調子の状態で後半戦最初のラウンドとなるレッドブルリンク戦を迎えるはずだったが、レースウィーク直前に、彼女の父で彼女の所属チームであるNODA RACINGを率いる野田英樹氏(以下:英樹氏)がFacebookを更新し、「今週のユーロフォーミュラ選手権の参戦を断念するしかない状況に追い込まれた」と報告したのだ。 野田の突然の出走断念は大きな話題となったが、そこには様々な背景があったことが取材によって分かった。 まず、野田を取り巻く環境の中で注目を集めたのが、いわゆる「女性ドライバー最低車両重量ルール」の存在。実は開幕ラウンドであるポルティマオのレース1前日、EFOは「ドライバーと装備品を含めて580kg」とされていた車両の最低重量について、女性ドライバーのみ560kgに修正する旨を通達した。つ
2020年からヨーロッパでのレース活動を本格化させた野田は、デンマークF4で2シーズンを走った後、昨年は女性のみで争われるフォーミュラ選手権「Wシリーズ」に参戦。2023年からF3カテゴリーのEFOへと戦いの場を移している。 ポール・リカール戦では、参加台数は8台と限られていたものの、うち4台はモトパークであり、野田は1台体制のNODAレーシングで挑むこととなった。 7月22日(土)に行なわれたレース1で野田は、5番手からスタートでひとつポジションを上げると、トップ勢を見据える位置で走行していた。 しかし4周目にトップ2台が交錯し、セーフティカーが出動。野田はこの混乱に乗じてトップへ浮上した。リスタート後も野田は後続の追撃をかわし切り、EFOで初のトップチェッカーを受けた。加えてファステストラップのボーナスポイントも獲得した。 翌7月23日(日)に行なわれたレース2、レース3ではそれぞれ4
トストは、レッドブルがミナルディを買収し、スクーデリア・トロロッソが立ち上げられた当初からチーム代表に抜擢され、チームの名称がアルファタウリを変わった後もチーム代表の重責を担い続けてきたが、今季限りで同職を退くことになった。 なおトストは、トロロッソのチーム代表に就任する前には、ラルフ・シューマッハーのマネージャーを務め、日本に住んでいたこともあった。トストは最近、motorsport.comの姉妹サイトであるFormel1.deのインタビューに応じ、ラルフ・シューマッハーと共に日本に住んでいた時のことを振り返った。 「我々は富士山の麓、山中湖に住んでいたんだ。そしてラルフは、いつもヨーロッパに戻りたがっていた。そして私が結婚しているのだから、ヨーロッパに戻らなきゃと彼は言っていたんだ」 そうトスト代表は語る。 「私は”ノー”と言った。我々は絶対に戻るべきではなかったんだ」 ラルフはホーム
今年のF1カナダGPでは、レッドブルのマックス・フェルスタッペンが優勝。この勝利でフェルスタッペンの通算勝利数は41となり、伝説的F1ドライバーであるアイルトン・セナに並ぶことになった。ただ今回の勝利はそれだけではない。レッドブルにとっても通算100勝目、また現在同チームのチーフ・テクニカル・オフィサーを務めるエイドリアン・ニューウェイが手がけたマシンとしても通算200勝目ともなり、まさに記念すべきグランプリとなった。 カナダGPの表彰台にレッドブルのコンストラクター代表として登壇したのは、ニューウェイだった。これは、彼が手がけたマシンの通算200勝目を記念したものだった。 ニューウェイは1980年にフィッティパルディに加入してF1でのキャリアをスタートさせると、その後マーチに移籍。F2やIMSA、CARTのプロジェクトを経て、1988年にマーチ881を手がけてF1へ復帰。ウイリアムズに移
最も重くなったのは、今季のWEC(FIA世界耐久選手権)の開幕3戦で勝利しているトヨタのGR010ハイブリッドで、ポルティマオやスパと比べて37kgもの増加となっている。一方、ポルシェ963はわずか3kgの増加に留まった。 今季から導入されたBoPの新しいシステムでは、ル・マンまでの開幕4戦までのBoPを固定。LMH車両とLMDh車両の勢力均衡を図る、プラットフォームBoPの変更のみが認められていた。個々のマシンのBoPを変更するのは、ル・マン以降にのみ可能とされていたのだ。 BoPを規定する文書がまだ非公開であるため、変更がいつ有効になるかをめぐって混乱が生じたが、ル・マンを前にBoPを変更することについて、ハイパーカークラスに参加するメーカーの間で合意があったようだ。 関連ニュース: ポルシェWEC、ル・マン24時間へ向けBoPが調整されると明言。ただし、トヨタ側は「そんな余地はない」
アメリカのラリー界のスーパースターであり、WRC(世界ラリー選手権)やWRX(世界ラリークロス選手権)にも出場したケン・ブロックが、1月2日にスノーモービルの事故に遭い、死去したことが分かった。55歳だった。 ケン・ブロックの訃報は、彼のラリーチームであるフーニガン・レーシング・ディビジョンがInstagramに声明を発表して伝えられた。 「ケン・ブロックがスノーモービルの事故で亡くなったことをお伝えするのは、誠に残念なことだ」 チームのInstagramに投稿された声明には、そう書かれている。 「ケンには先見の明があり、パイオニアであり、そして象徴的な存在だった。そして最も重要なのは、彼は父親であり、夫でもあったということだ」 「彼がいないことは、信じられないほど寂しいと感じるだろう」 「家族が悲しみに暮れている間、プライバシーを尊重していただきたい」 事故現場を検証したアメリカ・ユタ州
元F1ドライバーであり、現在は自民党所属の衆議院議員として日々活動する山本左近が、今国会での提出が目指されている「自動車モータースポーツの振興に関する法案」について説明。かねてより国会提出を目指して議論が行なわれてきた同法案だが、今回はこれまでとは状況が違うという。 先日行なわれた自民党のモータースポーツ振興議員連盟総会で司会を務めたのは、山本衆議院議員だった。 2006年ドイツGPでスーパーアグリからF1デビューを果たし、その後スパイカーやHRTから3シーズンにわたってF1に参戦、合計21戦を走った山本左近は、2021年の第49回衆議院議員選挙で当選。国会議員となった後もモータースポーツとの関わりは強く、自民党のモータースポーツ振興議員連盟では事務局長を務めており、3月30日に行なわれた総会では司会進行を務めた。 この日の総会では、公道レースの実現を後押しする法案『自動車モータースポーツ
2022年シーズン、マニュファクチャラー、ドライバー、コ・ドライバーと3つのタイトルを獲得したトヨタは、来季もさらなる好結果を目指し、基本的には今季と同じラインアップを継続。ただ、2023年シーズンはTOYOTA GAZOO Racing World Rally Team Next Generationとして参戦していた勝田/アーロン・ジョンストン組が、オジェ/ヴァンサン・ランデ組と3台目のマシンをシェアする形で、TOYOTA GAZOO Racing WRTからWRCに参戦する形となる。なおオジェ組が出場するラリーについても、勝田組はチーム外ながら同じGR YARIS Rally1 HYBRIDを使って参戦するという。 このラインアップについて、チーム代表のヤリ-マティ・ラトバラは次のように語る。 「2022年はチームにとって最高のシーズンとなりました。3年連続の3冠は大きな挑戦となりま
マテシッツは長く闘病生活を送っていたが、アメリカGPの予選直前に、レッドブルが亡くなったことを認めた。78歳だった。 関連ニュース: レッドブル共同創設者、ディートリッヒ・マテシッツが死去。現代のF1に多大な貢献 マテシッツはジャガー・レーシングを買収してレッドブル・レーシングを設立。その後ミナルディも買い取ってトロロッソを立ち上げ、現在はアルファタウリと名を変えてF1での戦いを続けている。またオーストリアGPの復活にも貢献した。 ホーナーはレッドブル・レーシングの最初のシーズンから現在まで、チーム代表を務めている。そのホーナー代表は土曜日に取材に応じ、マテシッツの死去は「絶望的に悲しいニュースだ」と語った。 「彼は卓越した人物だ。F1だけでなく、レッドブルのビジネス、レッドブルの世界、そしてあらゆる場面で、多くの人のために尽くしてきた」 そうホーナー代表は語った。 「彼は多くのインスピレ
ホンダ・レーシング(HRC)を除いても、マクラーレンでダイレクター・レースエンジニアリングを務める今井弘や、アストンマーチンでシニアタイヤエンジニアを務める松崎淳、ウイリアムズでメカニックを務める白幡勝広……その他にも多くの日本人が、F1という舞台で活躍している。 述べ20万人が訪れたという今回の日本GP。鈴鹿サーキットに足を運んだファンの中には、F1ドライバーを夢見る子どもたち、そして何らかの形でF1チームで働きくことを志す者もいただろう。 そんな彼らに向けて、ハースF1でチーフエンジニアを務める小松礼雄が激励。彼もまた、若かりし頃にF1エンジニアを志し、日本から世界へ飛び出していった人物のひとりだ。 「『やりたいと思うことがあれば踏み出さなきゃ』ということですね」 そう小松は言う。 「やっぱり、コロナにしろ何にしろ、いつの時代も障害はある訳です。ちょっと難しいことがあるからやらないとな
悪天候による赤旗中断により、53周のレースが28周で終了したF1日本GP。フェルスタッペンが独走で優勝を飾り、セルジオ・ペレスが2位。レッドブルはホンダのお膝元でワンツーフィニッシュを飾った。 フェラーリのシャルル・ルクレールが3位となり、フェルスタッペンのチャンピオン連覇の条件を満たしたものの、レース距離の75%を消化できずにレースが終わったため、レッドブルを含む多くのチームがフルポイントが付与されるとは考えていなかった。 しかし競技規則が厳格に解釈され、ルール改訂によって赤旗終了ではない場合のポイント規定が削除されたことから各ドライバーにフルポイントが与えられ、フェルスタッペンの連覇が決まった。 Read Also: フェルスタッペンの戴冠条件で混乱。レギュレーションの”エアポケット”が原因か? レース直後は、フェルスタッペン本人もチャンピオン獲得に驚いていたが、レギュレーションをめぐ
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