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2008年1月7日のブックマーク (4件)

  • ダメプロに対する客の視線 - 萌え理論ブログ

    書評サイトに対する作り手側の視線 - ラノ漫―ライトノベルのマンガを気で作る編集者の雑記― 「ダメ書評」に対するマンガ編集者の視線 - ラノ漫―ライトノベルのマンガを気で作る編集者の雑記― 全く賛成できない。「気で作る」という看板を掲げているが、プロとしてはずいぶん意識が低い発言だ。「やるきがなくなってめいわくだから、ひはんしないでください」って、どこの幼稚園のお遊戯会だろうか。 そりゃあ、明らかに的外れだったり、批判者の自己満足的な、ダメ批判はたくさんあるだろう。愛があるとか胡散臭そうなことを言いながら、偉そうにこきおろして満足するだけ、そういう批判は確かになくなった方がいい。再批判されて淘汰された方がいい。批判はフェアであるべきだ。 だが、批判自体を全て回避しようというのは、客から金を取っているプロの言動とは思えない。職業倫理的な立場から認められない。単に商売上の都合だけで通って

    ダメプロに対する客の視線 - 萌え理論ブログ
    butadonya
    butadonya 2008/01/07
    『「愛があろうがなかろうが、駄作は迷惑だから、金は取らないでくれ」というロジックは認めないだろう。』/読者は、壁投げ本に当たっても「もう本読むのなんてやめよ……」とは思わないだろう。その辺じゃないか。
  • まず、あなた自身が他人を甘えさせてあげてください - 萌え理論ブログ

    子供は他者 小学校2年生の作文に泣かせられたよ。 - Something Orange しかし、大人になってもまだ、この真理がわからないひとは大勢いる。 ひとは、ひとに頼ってもいいし、甘えてもいい。泣いても、わめいてもかまわない。不完全でも、不十分でも、他人に迷惑をかえてもいい。そのままで生きていっていい。ただひたすらに耐えてばかりいると、心が歪み、たわみ、ねじ曲がっていってしまうから。 もし、上の主張を単体で出してきたら、ずいぶん賛否が分かれそうな内容だ。だが、引用元では、小学二年生の作文に代弁させることで、批判を免れている。子供はともかく、子供を利用する大人は感心しない。 確かに、完全に自力で書いたなら、天才児だとは認める。ただ、邪推ではあるが実際には大人の手が入っていそうで、その場合は、ずいぶんベタな感動話に仕立て上げたなとは思う。 それなのに、かっこうにだめなじぶんを見せられて、そ

    まず、あなた自身が他人を甘えさせてあげてください - 萌え理論ブログ
    butadonya
    butadonya 2008/01/07
    「子供はともかく、子供を利用する大人は感心しない。」ホッテントリを利用するブクマホイホイ記事も、感心できるかどうか怪しいなぁ。
  • 活字中毒R。

    『動物の値段』(白輪剛史著・ロコモーションパブリッシング)より。 (さまざまな動物の「実勢価格」と「実際に飼う上での問題点」について動物商である著者がまとめたの一部です。「ジャイアントパンダのお値段」について) 【人里離れた未踏の地にひっそりと生きてきたジャイアントパンダたちが人間に発見されたのは意外にもわりと最近のこと。発見されてからは美しい毛皮と用肉を目的に乱獲され、たちまち絶滅の危機に瀕してしまった。 「パンダをう!?」と、そこに引っかかった方も多いでしょうが、とにかく中国人は”生きているものならなんでもう”と言われるくらい、なんでもう。 (中略) かつて中国において、パンダの密猟は死刑に処せられる重罪であった。最近は終身刑になったようだが、今でも時々密猟者が逮捕されている。警察の手に落ちれば終身刑とは……、まさに「命がけの仕事」だ。 パンダは目の周りが黒い”たれ目模様”に

    butadonya
    butadonya 2008/01/07
    「産まれたパンダの子供は、たとえ一方の親パンダが中国籍でなくても、「レンタル料」の課金対象となるらしいですし。」ほえー。そうなのか。
  • OPEN―EYES ジェンダーとセクシュアリティを考える:「ポリガミー」というセクシュアリティ

    「ポリガミー」というセクシュアリティがある。 一対一の関係が正しいとする人を「モノガミー」といい、相手が複数いても大丈夫と考える人は「ポリガミー」という。もともとは人類学の用語で、一夫多制や一多夫制をさす言葉だったが(一夫一婦制が「モノガミー」)、主にセクシュアル・マイノリティの間で複数の相手をかけもちする関係をいうようになっている。 モノガミーが男女二元制やジェンダーの相互補完性(という幻想)を前提にして成り立っていると考えるなら、そこに属さないマイノリティはモノガミーを選ぶ必要がないし、むしろそれらに対してラディカルに挑戦するスタンスとしてポリガミーを主張することもあるだろう。 とはいうものの、思想的にポリガミーを選ぶというのは、ラディカルフェミニストが思想的にレズビアンを選ぶというのと同じように、無理のある話だと思う。思想がセクシュアリティを規定することはありえない。思想が必要な

    butadonya
    butadonya 2008/01/07
    「モノガミー」と「ポリガミー」について。「モノガミーとポリガミーはお互いに相容れない立場だが、どちらが正しいとか間違っているとかは言えないように思う。むしろ間違いといわれるべきなのは、自覚のない人であ