タイトルが面白かったので、橋本治の新刊『あなたの苦手な彼女について』(ちくま新書)を読んでみた。書名からは分かりにくいが、これは「男にとってフェミニズムとは何か」を論じた本である、と要約しても、さほど間違っていないと思う(正確に言えば、話はいろんな方向に飛ぶ。古事記の時代はどうだったとか)。表紙カバーに印刷された本文からの引用が、この本の内容を非常に的確に要約している。 …男は「女」を差別なんかしません。その逆に、大切にしようと思います。でも、この「女」は、「自分の恋愛の対象にしたいとおもう女」だけです。そこからはずれたものは「女」ではなくて、ただ「どうでもいい」なのです。…男にとっての「男女平等」は、「どうでもいい女をどう位置付けるか」でしかない。……… あなたの苦手な彼女について (ちくま新書)作者: 橋本治出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/12/10メディア: 新書 僕
はてなブックマークで、次のような記事が注目されています。 自分自身、「男のフェミニスト」であるのかと問われれば、僕はフェミニズムの主張を原則として認める一方で、日常的なオフレコの場では、男性優位的なことを平気で言ったり、考えたりしているので、まっとうなフェミニストから見たら、言行不一致のけしからん奴ということになるだろう。 しかし、そんな僕も昔は、かなりラディカルなフェミニストだったと思う。男はフェミニストたりうるか? - 青空研究室 私はフェミニズムについて体系的に学んだことがなく、“フェミニストたる”ことが、どのようなことなのか、明確なイメージを持つことができません(おそらく多様であろうし、多様でなければならないとも思う)。 ただ、上記の記事を読んでいて感じたのは、この文章を書かれている方自身の自意識(ジェンダーを含んだアイデンティティのようなもの)にゆらぎがみられないのではないか?
駆り立てるのは野心と欲望、横たわるのは自称フェミニスト ● 男はフェミニストたりうるか?を読んで考えたこと。 例えば、かつて東大に入った頃に、僕をガッカリさせたことの一つは、いわゆる「東大女子」という生き物が、案外フェミニストではないということだった。男子校で育った僕は、東大に入ったら眼鏡をかけた気の強い「東大女子」が難しい議論をふっかけてくるに違いないというステレオタイプに毒されていて、それを半ば楽しみにもしていたので、ゼミのような授業(基礎演習)で「東大女子」たちの多くが、なるべく目立たないように大人しくしているのを見て、なんだかガッカリしたのである。「男も女も関係ない。女子も、もうちょっと発言したらどうか?」とけしかけるハタ迷惑な東大男子であった。 これはいわゆる「頭が良く気の強い女子萌え」という男性の性的嗜好の一形態でしかなく、フェミニズムとは何の関係もないと思う。そもそも女性との
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く