http://anond.hatelabo.jp/20070811193806 このレビューの指摘はもっともであるし、評者は正しくこの映画のテーマを読み取っている。しかし、それをもとに映画の評価を下げるのは間違っているのではないか。 なぜなら、この映画のパンフレット自体に、野坂昭如自身が、評者と同じことを述べているのだ。この映画は戦争を描いたものではあるが、同時に、若い無思慮な少年が自分自身のつまらない自尊心を原因に妹を死なせてしまったこともあからさまに描いた物語なのだ。 父親の純白の海軍服に憧れ、戦争での日本の勝利を無条件に信じるこの少年は、勝ち目のない戦いに無自覚に足を踏み込んでいった日本人全体の暗喩にもなっている。彼らはたんなる被害者ではない。 予備知識が少しでもあって高畑勲の立ち位置を考えれば、こんな事は自明のことだし、そういった情報を知らなくても、この評者のように、きちんとそれを
『マルホランド・ドライブ』(Mulholland Drive)は、デイヴィッド・リンチ監督による2001年のアメリカ映画である。ただし制作にあたってフランスの映画配給会社による資本提供を得ている(後述)。第54回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。 日本公開時のキャッチコピーは「わたしのあたまはどうかしている」。作者はコピーライターの蛭田瑞穂。 あらすじ[編集] 夜のマルホランド・ドライブ道路(英語版)で自動車事故が起こる。事故現場から一人生き延びた黒髪の女性は、助けを求めにハリウッドまでたどり着く。女性が偶然潜り込んだ家は、有名な女優ルースの家だった。ルースの姪である女優志望のベティに見つかった黒髪の女性は、部屋に貼られていた女優リタ・ヘイワースのポスターを見て、反射的に「リタ」と名乗った。彼女はベティに自分が事故で記憶喪失になっていると打ち明ける。リタのバッグには大金と青い鍵。ベティは
こないだ見そびれた松本人志の『大日本人』、今日多摩美の帰りに橋本のシネコンでようやく見ました。しかし感想の書きにくい映画だなあ。松本もインタビューで「どういう映画か内容が言いづらいんですよ」と言ってたけど、ホントその通りでしたね。 駄作とも傑作ともいえない。かといって凡作でもない。なんとも言えない。その意味ではこんな映画見たのって初めてであります。ダウンタウンの漫才やしゃべくりを見ているこっちとしては、100%ピュアモルツな「松本人志の世界」に違いなく、その意味での完成度はとても高かったと思います。 ただ、えんえんと続く「ボケ」の映像を見ているうちに、「浜田はどこにおる?」と思ってしまったのも事実。これまで、あまり浜ちゃんのことを面白いと思ってなかったんだけど、松本のボケは、浜田のツッコミがあって初めて生きるのだなあ、という事実を思い知らされました。 なんというか、ボケとして隙がなさすぎ。
テレビ再放送の「天空の城ラピュタ」を、DVD持ってるのに見ました。何度見てもラピュタ最高だな! 恐ろしいことにセリフを全部空で言えること気づきました。いやいや、みなさんもそうだと思いますが! 今になって改めてみると、フラップターのデザインとか、ロボットの登っていく塔の見せ方とか、シータのヒロインオブヒロインっぷり、本当によくできてるなーとじわじわ感心します。ラピュタの住人達もどういう設定なのか気になるなあ。 一番好きなのはシータ奪還シーン。絵と音楽と演技の調和があまりにもすごすぎて、もう間違いなく100回以上見ているのに泣けて仕方がない。音楽が少し声より大きめになっているのがうまいもので、まさに血沸き肉踊りまくり。 ああもう!アニメって面白いな!最高だな! しかし、シータもかわいいけれど、最萌えはムスカですよね、やっぱり。こんなにときめく悪役なかなか描けないワ。 さて、そんなムスカ大佐です
韓国の情緒の研究 見落とされがちだが、韓国人はここ4、5年の間、急速に自信を深めている。シツコク、この話の続き。 前回までの話は その1 その2 その3 ね。 前回はアニメが「フツー」になってきたという話だった。 実は、映画なんかでも、似たような話を聞かされる。 フツーというのは、作り方の話ね。 映画製作なんて、一昔前までは、企画も台本も、完全に行き当たりばったり。 台本もまともなもんがなかったりとか。 「マーケティング? 何それ?」とか。 でも、今はもう、そんな適当なこと、あり得ない。 細かく企画たてて、システマティックに作品を仕上げる。 本来は、そういう面倒なこと大嫌いな人達なのに(笑) だから、まあ、あちこちで、ほころびはあったりするんだけどψ( `∇´ )ψ いろんな意味で。それはそれで、やはり韓国的なんだけど。 でも、大筋は、そういう方向ね。
『あるスキャンダルの覚え書き』90点(100点満点中) Notes on a Scandal 2007年6月2日、シャンテ シネほか全国順次ロードショー 2006年/イギリス/配給:20世紀フォックス 他人を支配する面白さをサスペンス仕立てに 密室殺人やアリバイトリックに縁のない、ごく普通の人々の生活の中にも、スリリングな局面というものは存在する。そんな「何も事件がおこらない」日常で、サスペンス映画を一本作ってしまった、それが『あるスキャンダルの覚え書き』だ。 舞台はロンドン郊外にある労働者階級の中学校。頑固な性格で、毒舌と世間を斜に見る態度で孤立気味だったベテラン女教師バーバラ(ジュディ・デンチ)は、新任の若き美術教師シーバ(ケイト・ブランシェット)に目をつける。豊かな家庭の幸せな妻でもあり、高い教養と素直な性格をもつシーバとなら、友情を築けると直感したのだ。 さて、ホントは友達がほしか
『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』70点(100点満点中) Borat: Cultural Learnings of America for Make Benefit Glorious Nation of Kazakhstan 2007年5月26日、渋谷シネ・アミューズほかにて公開 2006年/アメリカ/84分/配給:20世紀フォックス映画 単なるドッキリカメラにとどまらない社会派 本作は、アメリカで爆発的な話題を呼んだ映画だ。しかしその特殊な性質から、日本では公開すらしないのではないかと危ぶまれた一本でもある。お国柄の違いといってしまえばそれまでだが、そのくらい"アメリカ人向け"に特化して作られた作品ということだ。 『ボラット』は、ジャンルで言えばモキュメンタリーということになる。モキュメンタリーとは、ドキュメンタリー"風"に撮られた作品のこと。事実を追いかけ
2007年05月02日00:10 カテゴリ 映画「バベル」上映を中止すべきだ。 映画「バベル」の光感受性発作の被害が拡大している。光感受性発作は一度経験すると次からより引き起こされ易くなるという傾向がある。「バベル」を観て、めまいを起こしたひとが、次に自動車の運転中に、対向車のヘッドライトの光で、気を失うという可能性もあるのだ。そういった意味からも映画「バベル」は、より深刻な社会的リスクを引き起こす可能性を持っている。 映画「バベル」は、上映を一度中止し、問題のシーンを削除した上で、再度上映しなおすべきだ。海外での発作の例が報告されていないので、深刻ではないとするのは、危険だ。光点滅による発作は、昨日書いたように、単なる視覚野刺激の強度以外に、脳波レベルのバイオフィードバック強度と、映画全体における臨場感強度といった、ホメオスタシスフィードバック強度そのものが深くかかわっており、日本人が日
『リンガー! 替え玉★選手権』85点(100点満点中) The Ringer 2007年4月21日より、シアターN渋谷にて過激にロードショー! 2005年/アメリカ/95分/配給:20世紀フォックス映画 明るい障がい者映画 『リンガー! 替え玉★選手権』は、五輪に合わせて開催される、知的障がい者たちによるスポーツの祭典「スペシャルオリンピックス」を題材にした映画だ。 ……といっても、いま皆さんが想像したものと本作は、恐らく大幅に異なるであろう。この映画は、一歩間違えばおそろしく不謹慎で失礼千万な、危険極まりないタブーすれすれを突っ走る作品である。 主人公の好青年(ジョニー・ノックスヴィル)は、自分の責任で友人が大怪我をしてしまい、莫大な治療費を何とか工面したいと思っている。そこで叔父に相談するが、ギャンブルで借金まみれのどうしようもないダメ男なので頼りにならない。それどころか、「スペシャル
『ツォツィ』75点(100点満点中) TSOTSI 2007年4月14日より全国ロードショー 2005年/イギリス・南アフリカ/95分/配給:日活、インターフィルム 絶望の中で輝く希望の光 泥棒がひょんなことから誘拐した赤ちゃんの世話に振り回され、やがてそのピュアな微笑みに癒され更正していく……。アカデミー外国語映画賞を受賞した『ツォツィ』は、先週紹介したコメディ『プロジェクトBB』とまったく同じストーリーである。 舞台は南アフリカ、ヨハネスブルグのスラム街。主人公の少年ツォツィ(プレスリー・チュエニヤハエ)は仲間数名と窃盗団を組み、周りからも一目置かれるいっぱしのワルだ。ある日彼は、高級住宅街の主婦から強奪したBMWの後部座席に乳児を発見する。 当初は捨て置こうかと考えたツォツィは、しかし放っておけずに自分のあばら家に連れ戻る。とはいえスラム育ちの孤独な彼に、赤ん坊の世話などできるはずも
MIYADAI.com Blog (Archive) > 映画『レベル13』批評:贖われることのないソーシャルデザインの地獄をどうするか? « 間もなく弟子たち(鈴木弘輝・堀内進之介)との共著『幸福論--〈共生〉の不可避と不可能』が出ます | 思想塾スタッフの鈴木弘輝・堀内進之介両名が、朝カルで1回の講座を開きます » ■映画が始まる。荒い画質といい、照明の杜撰といい、個々のエピソードのワザとらしさといい、8ミリ映画を撮っていた30年前を思い出す。如何にも学生映画っぼい。製作者の意図にかかわらず観客は「映画に過ぎぬ」という事実を突きつけられ、高見から見物する。 ■レベル1、レベル2、レベル3…。課題が与えられる、クリアする、もっと凄い課題が与えられる、クリアする、もっともっと凄い課題が…。そんな繰返しが予想できる。そう、如何にも素人映画っぽい脚本だ。『ブレアウィッチ・プロジェクト』みたいな
『パラダイス・ナウ』70点(100点満点中) Paradise Now 2007年3月10日より、東京写真美術館にて公開 2005年/仏・独・蘭・パレスチナ/90分/配給:アップリンク テロリストの最後の一日のすごし方 『パラダイス・ナウ』は、私たちがいわゆるテロリストと呼んでいる存在、とくに自爆テロを行う人間が、最後の一日をどう過ごすかを詳細に描いた異色のドラマだ。 テロは問答無用の悪だと考える人々にとって、人間としての彼らの行動原理を理解しようという試みはすべて受け入れられないものと見え、この映画に対しても激しい反対の署名運動が繰り広げられた。それが影響したのかその年(2005年)のアカデミー外国語映画賞は逃したものの、本作が優れた映画作品であることに違いはない。 主人公の若者二人は長年の親友同士。彼らはパレスチナのイスラエル占領地ナブルスで自動車修理の仕事をしている。ロードプロックと
『硫黄島からの手紙』90点(100点満点中) 「Red Sun, Black Sand」2006/アメリカ/配給:ワーナー映画 2006年12月9日(土)丸の内ピカデリー1ほか全国松竹・東急系にてロードショー 見終わって大いに考えさせられる一本 米国を代表するスターであり映画監督のクリント・イーストウッドは、保守的な思想を持つ人物として広く知られている。しかし意外にも彼が作る映画は、思想的に極端に偏ることがなく、公平かつ冷静な視点で物事を見たものが多い。 今回二部作として映画化される史実、"硫黄島の戦い"は、私たち日本人も当事者の一方であるが、彼のような監督が撮るという事には、一種の安堵感すら感じられる。とくに、プロパガンダくさい戦争映画を嫌う観客(例:『パール・ハーバー』のトンデモ度の高さに閉口した皆々様)にとっては、なおさらだ。 さらに、現在公開中の序章にあたる『父親たちの星条旗』を観
デジタルメディアの台頭とともに「あらゆる映画が見られる」ようになったといわれる今日、映画批評はどう変わったのか。その本道はどこに求められるべきか。蓮實重彦氏に聞く。 (インタビュー/構成:三浦哲哉) 目次 1.データベース化の幻想 2.反復する顔、しない顔 3.70年代の映画批評 4.リアルタイム批評のすすめ──マイケル・マンか、ガス・ヴァン・サントか 1.データベース化の幻想 ──1994年に『シネティック』の関口良一さんがなされたインタビューの中で、蓮實先生は、あらゆるものが見られる状況になったことで、映画を巡る言説は多様化するのではなく、かえって単調なものになっている、と述べておられます[1]。それから約10年が過ぎましたが、大状況としてはこの発言を追認せざるをえないかと思います。今回のインタビューでは、まず先生が述べられたこの見解を念頭に置きつつ、映画批評における歴史性について、メ
『ホステル』95点(100点満点中) 空腹時に見て吐きそうになったほど怖い映画だが、きっと満腹時でもヤバいだろう 『ホステル』は久々に味わったすごい映画だ。単純に筋書きが面白いだけでなく、その演出の巧さにも舌を巻く、すばらしい映画作品であった。 欧州をバックパッカーとして貧乏旅行している米国人の大学生コンビは、途中で陽気なアイスランド人と知り合い、3人でオンナ漁りのバカ旅行を楽しんでいた。あるとき彼らは、スロバキアの田舎町に、目くるめくような快楽を得られるホステル(若者向きの安宿)があるという噂を聞く。麻薬とオンナには目のない彼らが早速訪れてみると、そこは予想を越えたキモチイイ異文化があった。 なんとも不気味な、東欧独特の雰囲気の漂うそのホステルにつくと、あいにく相部屋だといわれる。意気消沈して3人が部屋に向かうと、なんとそこには着替え中の巨乳ギャルがおり、ルームメイトだと告げる。しかもこ
MIYADAI.com Blog (Archive) > 昨今の映画状況についての座談会[寺脇研、荒井晴彦、宮台真司]での宮台発言です。 « 思想塾 & 未来心理研究会(ドコモ)、相乗り公開イベントのお知らせ【再掲載】 | 鮭缶のアラスカ鍋日記(貧乏風)さん、トラックバックありがとうございます » 宮台 僕の価値観は寺脇さんに近いと感じますが、社会学者なので価値観抜きのロールプレイをします。映画に限らずテレビドラマも音楽も「作家性のある表現」として受け取られる土壌が九〇年代に急に薄れました。最初にそうなったのは音楽です。カラオケボックスで歌われるのはCFソングやタイアップ曲ばかりで、コミュニケーションツールになる歌だけが売れはじめる。他人が知らない歌なのに自分だけ耽溺して歌う行為は、馬鹿にされ、忌避されます。この時期、かろうじて流れに組み込まれていなかったのが映画で、それ以外は小説や漫画も
映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」がオンエアされた。以下の文章は数年前の公開時に雑誌「フィギュア王」に書いたコラムである。 基本的に僕の感想は、この当時と変わっていない。 僕の「昭和時代の宇宙開発趣味」から短絡的に、万博や過去の世界を取り上げたから「オトナ帝国」を評価している、と思っている人もいるようだ。 とんでもない。僕が感動したのは「過去より未来を選ぶ、というテーマに見せかけて裏テーマを語ったスタッフの力技」である。 では再録、スタート。 『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を語りたいと思う。 もう公開は終わってしまった映画なので、内容のネタバレ描写もある。何よりも未見の人がほとんどだと思うけど、とにかくこの映画のことが語りたいので、つきあって欲しい。 まずストレートに感想を言うと、脱帽、いや土下座だ。感動したなんてもんじゃない。
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