ベスト&ブライテスト〈上〉栄光と興奮に憑かれて (Nigensha Simultaneous World Issues) 作者:デイヴィッド ハルバースタム二玄社Amazon 読んだふりをしていた本をこっそりきちんと読み直すキャンペーンの一環で、ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』を読んだ。大学生の頃に一度ぱらぱら見たんだけど、「ふふん、白人優位主義の無知で偏狭でプライドばかり高い米帝軍国主義の手先どもが、己の愚かさ故と歴史的必然故に自滅する話ね」と思ってあまりまじめに読まなかったし、いろいろこまごました人間の出自だの学歴だの職歴だのがひたすら並んでいて、いささかうんざりしたこともある。そして大学生だと「こいつらが自分の力関係だの地位だのばかり心配せずに、現場の情報をきちんと聞いて、己の信念にしたがって正義の発言をすればベトナム戦争なんか起きなかったんだろ」と本気で思っていた。だから、あ
Geekなページさんの記事によると、なにやらノマド批判なるものが流行ってるようで。別に俺はノマドのつもりはないけど、ノマドな知人友人も多いので一言いっておこうかと。 えっ、「ノマド」ってそういうことなの……。 - 世界はあなたのもの。 ノマドとかライフスタイルをテンプレで語ること自体の陳腐化と正社員とノマドの中間解 - Future Insight ノマドワーキングを目的にすると不幸になるのでは? - GoTheDistance このへんひとことでまとめるなら「バカですね」の一言で終了である。 俺、もうブログとかウェブ日記とか呼ばれるもの書きはじめて10年以上になるんだけど、ホントにこの手のバカな反応が多い。なにがバカかって、まず相手の意図を無視するのね。 だいたいこのタイプの人がしゃべることは以下のようなテンプレにハマっていることが多い。 日本のライフスタイルは時代遅れ。よりノマド的なラ
【議員会館】 〒100-8981 東京都千代田区永田町2-2-1 衆議院第一議員会館301号室 電話:03-3581-5111(代表) “Not in Employment, Education or Training”の頭文字を繋ぎ合わせて“NEET”。昔風の言葉で言えば、「スネかじり」といったところでしょうか。 このニートと呼ばれる若者が、このところよく問題視されています。少子化傾向の昨今、若い労働力が何もしないでフラフラ過ごしているのは、人物経済上もったいないと考えるのは、大人側の論理としては正論だろうと思います。しかし、ここは「正論」を述べる稿ではないので、私なりに別の角度からの「異論」を述べてみようと存じます。 日本は天然資源に恵まれず、古来より、つつましく互いに助け合っていく以外、生き残る方法はありませんでした。しかし、封建時代から明治の時代に入ると、工業化社会という、これまで
2011年10月30日16:44 人の心が読めるんだけど、人間怖すぎる カテゴリ VIPネタ管理人オススメ記事♪ 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/12(日) 03:15:28.67 ID:RIt1E1g00 相手の目をみればその人が何考えてるのか聞こえてくるんだよね。 まじで。 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/12(日) 03:15:52.47 ID:FCzgJQBk0 でじま。 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/12(日) 03:15:59.46 ID:jtPZqBvu0 サトリか 5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/12(日) 03:16:39.07 ID:yUuv1btg0 少しでも本気が入っているとすれば、もはや社会復帰が難しいレベルの厨
「超常現象」という言葉を聞いただけで眉をしかめ、身を引く人もいるだろう。占い、幽霊、超能力者、念力、体外離脱、霊媒……ちょっとご勘弁な話題である。なぜなら、そんなものは存在しないからだ。 本書「超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか」(参照)の著者リチャード・ワイズマンもそういう一人だった。彼はずっとこう考えていた――超常現象はパーティの話題としては受け取るが事実無根――と。ではなぜ彼が超常現象をテーマにした本を書いたのか。科学的世界観を普及させたかったのか。偽科学批判をしたかったのか。必ずしもそうではない。 ふとしたきっかけで彼は、超常現象が存在するかを調べるより、人がなぜこうした不思議な体験をするのか、その心理的な理由が知りたい、と考えるようになった。それは脳の問題なのではないか。 超常現象が存在するかどうかという科学議論については「超常現象を科学にした男――J.B.ラインの挑戦」(
レンヤ・ムタグチ(れんや むたぐち、Renya Mutaguchi、漢字表記:牟田口 廉也〈むたぐち れんや〉、1888年10月7日 - 1966年8月2日)とは、大東亜戦争において連合国の勝利に大きく貢献したイギリス陸軍の指揮官である。インパール作戦で大きな戦果を上げ有名になった。 人物[編集] Saga Prefecture出身、最終階級は陸軍中将。盧溝橋事件をきっかけとした日中戦争を日本陸軍が暴走して勝手におっぱじめたように見せかける偽装工作を行い、ビルマ(現ミャンマー)からインド北東部にかけてのジャングルで日本陸軍3個師団とインド国民軍をほぼ全滅させるというインパール作戦を指揮した連合国の名将で、史上最悪最凶強の工作員、コメディアンである。その数々の諜報作戦における謀略のあまりの巧みさと、偽装工作での類を観ないような強さに、日本兵から「鬼畜牟田口」「無茶口」などと恐れられた。ちなみ
id:michikaifu さんの言ってることは全く正しいと思う。しかしその前に「日本語は何のために存在しているのか」という根源的な問いを考え直してみた方がいい。実際のところ、 日本語は、意思や情報を伝達するコミュニケーションのために存在しているわけではない。日本人が日本語に期待している役割はそれ以外の部分にある、と考えた方が日本語の現状を機能主義的立場からよく説明できる。 国家生き残り戦略としての日本語リストラ (id:michikaifu) そこでつらつら考えるに、ニッポンの「国語なんたら審議会」には刺客を送り込まれ、全国の国語の先生たちからはカミソリを送られてきそうなことなのだが、「国家百年の計」を考えると、ここでおもいっきり、日本語の言語体系を大幅リストラして簡素化することが、国家戦略として正しいんじゃないかと思えてきた。 たとえば duke が昔書いた 日本人の国語力 って話があ
正月ぼんやりとだが、「精神の速度」ということを考えていた。もはや遠く過ぎ去った時代のこととして吉本隆明「完本 情況への発言」(参照)をつらつらと読んでいるとき、三分冊本(参照)の二巻(参照)と三巻(参照)の後書きが、2008年の2月と3月とで同一のテーマとして「精神の速度」だったことに気がついたのが、きっかけだった。 「情況への発言」は分冊本の一巻が出たときに購入したが二巻は購入に失した。三巻はすでに宝島「情況へ」(参照)でカバーしていたので、私としてはいずれ二巻分だけ買えばよしとしてたが、完本もあってもよいかと思いなおして購入しておいた。 「情況への発言」は吉本隆明の同人誌『試行』の巻頭に連載されていた、その時点の政治状況への提言であった。結果として1960年代から1990年代の、あるいは昭和から平成の歴史も兼ねているともいえる。『試行』は直接購読以外に紀伊國屋書店でも販売されていて、私
どうせネタ無いし、よそのブログや報道記事の 朴李ばかりでは気が引けるので、本から朴る。 でも、全部は面倒だし著作権の問題もあるだろうから (殊勝だな♪)、少し(多めに)丸写しします。 得と思えば儲けもの。 どんどん付け足そうかな。 中央公論新社には、こちらに連絡して頂ければ、 事後処理御相手致します。 小室直樹 『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』 1976年10月ダイヤモンド社刊 1991年2月10日 中央公論社刊 はしがき 「これは、ナチスや軍国主義者でも企てなかった文化破壊 である」と、大学紛争の兵火にかかって烏有に帰した 東大法学部の廃墟に立って、丸山真男教授はこう叫んだと 言い伝えられる。戦後四半世紀を経て、デモクラシー教育は、 とんでもない鬼子を生み育ててしまったようだ。大学紛争を 契機として血のタブーが破られることによって、あんなにも 厳重にとじこめておいたはずの暴力主義の
小室直樹氏によると、戦前も戦後も、エリートというのは、同じ考えで動いているという。 それが「盲目的予定調和説」というもの。 現在の特権官僚・ビジネス・エリートの思想と行動とが、いかにエリート吟じんのそれと類似しているか、それどころか、構造的に同型であるか明白であろう。戦後日本においても、特権官僚とビジネス・エリートとの特権は依然として大きい。ここに、特権官僚とは、国家公務員上級職を上位の成績でパスして本省採用となった、いわゆるキャリア組をいう。彼らは、超特急のスピードで昇進し、若くして国策を左右しうる地位に就き、早々に退職して、ビジネス・エリートとなり財界の支配権を握る。また彼らは、政界に進出しても極めて有利な位置に立つ。このような特権的立場は、彼らにノブレス・オブリッジ(優者の責任)の意識を生み、また彼らは、極めて優れた人材でもある。愛国心と自己犠牲の精神にも富み、現在日本の発展は彼
以下は、早朝勉強会及び大学の「文化人類学Ⅱ」のレポート用に『危機の構造』(小室直樹著 中央公論社 1991)を要約したものである。 まず、第一章の要約を載せておく。 (開始) 『危機の構造』要旨 P7~P35 近代国家のひとつの要素である近代デモクラシーの理念は、制度は作為であり、人の手で変えたり壊したりできるというものである。日本も近代憲法を輸入するなどデモクラシーという体制へと切り替えようとした。しかし、日本では明治期以降、欧米列強に独立国家という承認を得る必要から近代理念を輸入したに過ぎず、西洋のように歴史の中で長い時間をかけて形成したわけではないという現実があった。この、現実と理念の矛盾を象徴しているのが戦後デモクラシーであり、「制度や慣行は確固不動の所与である」という認識のため、機能しないどころか支障をきたしているのである。例えば、ロッキード事件とニクソン追放を比較すればそれがわ
小室直樹の「危機の構造」ははじめ1976年にダイヤモンド社から刊行された氏の処女作である。のちに中公文庫の収められた。わたくしのもっているのはその文庫版(1991年)であるが、それも現在絶版のようである。 本書をもって氏の最高の著作とするものも多い。ここでいわれている「盲目的予定調和説」と「中立の権利の尊重」を、全共闘運動との関係で考えてみたい。 まず「盲目的予定調和説」:これは(1)大多数の無自覚な国民とは異なり、自分たちは自覚したエリートである。日本の運命は自分たちの努力にかかっている。(2)この努力は「特定の行動」の遂行という形でなされる。これに全身全霊を打ち込むが、それと関係ないことは無視する。「その他の事情」は自動的にうまくいき、日本は安泰となる。(3)だから「特定の行動」の遂行こそが肝要なのであり、成果は問題にされなくてよい、というものである。 小室氏はこれが連合赤軍の基礎をな
★僕にも解けない算数の問題 僕はブログにはプロジェクトワーク以外のことは書かないことにしていたのだが、あまりに憤慨したのでちょっと聞いて欲しい。写真は、娘(2年生)の算数のテスト。 8人にペンをあげます。1人に6本ずつあげるには、ぜんぶで何本いるでしょうか。 ご覧のように、「8×6」だとバッテンで、「6×8」だと正解らしい。何じゃこりゃ。僕がテストを受けたとしても「8×6」と書く。だって問題文はその順番に書いてあるから。 さらに答の48本もバツ。丁寧に赤ペンで48本と直してくれている。さらに意味不明。 ★娘にヒアリングしてみた 「何でバッテンだったか、先生説明してくれた?」 「単位が違うと、式の順番が違うんだって」 「? 意味分かる?」 「全然分かんない」 「じゃあ・・ウサギには2本の耳がある。ウサギは4羽いる。耳は全部で何本?」 「ずつ、が入ってないからどっちが先か分かんない。答えは8本
ガンダムUC見た後で、ガンダムAGEを見ると、比べちゃいけないと理性では解っていても、どうしても比べてしまう。予算も目標も手段も違うんだから、比べても無駄なんだけど。 ■公務員関係の愚痴 「公務員の給与の話をする前に、民間の給与や待遇を問題にすべきだ」 という文章に立て続けに出会ったんだけど。 あまりのピントのズレっぷりにこれが公務員の思考かと悲しくなった。(調べたら本当に公務員らしかった) 民間が給与や待遇面でつらい状況で収めている税金がムダ使いされてるから文句が出るというのが、理解できていないように見える。 なにをどのようにどんな手を打っても、税金の無駄遣いが続く限り事は好転しない。 船の底に大穴を明けた状態が、現状の公務員、官僚制度だと感じている。 予算を使い切る事を主眼に動いている公務員と、コストカットに必死にならざるをえない民間の仕事観の違いはもう、花畑と戦場ぐらいにズレている。
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