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「努力」とはなにか、について考えたら、文字認識のゲシュタルト崩壊じゃないけど、意味のゲシュタルト崩壊を起こして、えっ?えっ?、「努力」って何? 意味わかんねー状態になってきた。 「努力」とはなにか? なんて考えるのが間違いの元だというのは、わかっているんだが、気になるとダメ、もう。 話のきっかけは、これ、「「努力できる人」は脳が違う」(参照)というワイヤードの記事。へえと思った。そう思う人も多いんじゃないか。ネット界のゴミ箱とも呼ばれアルファーブロガーなら閲覧禁止指定がデフォでしょとされるブコメを覗くと予想通り、たんまり食いついている(参照)。 私はというと、いや頭を抱えて、そして冒頭のゲシュタルト崩壊に至った。ちょっと説明させてくれ。 記事の冒頭を引用するから、読んで味噌。 退屈な作業をやりとげようとする意欲の強い人と、途中であきらめてしまう人がいる。彼らの「脳の違い」を明らかにする研究
たまにBLOOGSさんからエントリーの転載を求められることがあって、次の新エントリーが上がった時点で「該当エントリーの転載、OKですよ」ということにしていた。だだ漏れ的に転載するのもなんなので、転載時にはエントリの新旧差を付けていた。 転載を求められるエントリーはBLOGOS編集部から評価を頂いたものだと思うし、どういう基準で評価されるかはわからないでもなかった。 そのうち、これは転載しないほうがいいなと思うエントリは、転載に不向きなような下品なギャグをわざと撒いておいたりもした。極東ブログというブログをそれなりに読んできた人や、それなりに読む価値があると思っていただける人でないとわからないエントリというのもあり、転載に向かない内容もある。その場合には自分なりの配慮をしていたつもりでもあった。口調が下品であることと内容の深みには関係ないが、広く公開される文章というのは逆の関係にあり、内容の
日本でも、「サイバー・クライム(ジョセフ・メン)」(参照)がようやく今月13日に翻訳・出版されるというので予約を入れておき、読んだ。情報産業の業界と限らず、その他の産業人や政治家にとっても必読といえる書籍である。これからの情報社会の問題や国際情勢を語る上で、すでに避けがたい古典ともなっている。逆にいえば、本書通読が可能なくらいの予備知識がないと、ビジネスも政治も立ちゆかないだろう。 本書はもちろん一般読者向けに書かれ、基礎的な事項についても丹念に説明されているのだが、おそらくこの分野の基本知識のない人にとっては内容が難しいだろうとも懸念する。あと一段階から二段階かみ砕いた別の補助説明書が必要になるのではないか。ボットネットの仕組みなどについても、DNSとは何かということも含めて絵解きでじっくり説明したらよいのではとも思えた。しかし政治家にそうした説明書を読んでもらう時間はない。政治家をサポ
日本のインターネット検索最大手Yahoo! Japanが米Googleと提携し、検索のサービスに米Googleの検索エンジン(検索処理部位)を使うことになった。最初の報道は米ダウジョーンズ・ニュースワイヤーズだったようだ(参照)。 2004年以前だが、Yahoo! JapanがGoogleの検索エンジンを採用したこともあったので、その点からすれば、さほど不思議でもない。だが、Yahoo! Japanというからには米国Yahoo!との関連があり、米Googleと対立的な関係にある米マイクロソフトによって買収が取り沙汰される米国Yahoo!という現状構図からすれば、日米のYahoo!は、対Googleの経営で逆向きの戦略を取ることになる。 また、米マイクロソフトはBingと呼ばれる検索エンジンを持っており、米Yahoo!はBingの採用を見込んでいることを考慮すると、日米のYahoo!が協調す
尊敬するファイナル爺が、毎週なぜかブログサバトと称して、一日ネットから意図的に距離を置いているようである。ありゃいったい何だと思っていた。というか、サバトが何であるかをそもそも良く知らない。安息日なのだろうが、ネットを禁じることが安息を意味するとはなかなか思いづらい。他の理由があるのではないかと思った。年齢から来る疲れ目か何かか。 ちと用事があって、物理的にネットから遮断されることとなり、携帯もなかなか通じない状況に陥ったとき、数時間ほど「私が連絡取れないあいだ、何かあるのではないか」という強迫神経症のような目眩に襲われ、仕事はもちろん家内や幼い倅に何か起きたらどうしようとか、twitter上で誰か炎上してたらとか、さまざま頭をよぎったわけである。 ところが、実際に高速で流れる情報の渦から文字通り距離を置いて半日も過ぎると、常に神経質にあれこれ考え続けていたことが一転、物凄く遠くから状況が
私がパソコン通信を始めたのは84年だったか。JADAの会員だった。アスキーはすぐに逼迫した。仲間を見つけてBBSを立ち上げた。Niftyは会員になっていたが使うようになったのはACSが潰れてからだったか。 ネットの世界なければ会えなかった出会いというのはけっこうあり、つまり、それが20代後半から30代前半をなんとなく覆っていた。ピークは4年くらいだろうか。 その頃は特に匿名とか実名とか意識されていなかったかと思う。匿名というよりはハンドル名なだけで、オフ会にいけば名刺交換とかしていた。「オフ会」という言葉もNiftyの文化だったと思う。それ以前はなんだったか。 ニフのオフ会にいくと、へぇ、一般人もいる、女もいるとか驚いたことがある。 当初は通信ソフトなんかも自作した。漢字コードが決まってなくて、特にPC-VANがNEC漢字を使っていたので、コンバーターなんかも作った。アスキーの後半ころPC
これ、不用意に言及してはいけないのだけど。 他の事業者がNTTを警戒しているのは、同社の光接続サービスのシェアが7割を超え、再び独占体制に近づきつつあるためだ。KDDIが先週、電力会社の光通信事業を再び買収したのは、NTTへの依存度を少しでも低くする狙いがある。 ここがポイントで、NTTが勝つと、というかすでに勝ってきているようだけど、その上にIPが載るしかなくなるので、結局、ただのりインターネット時代が終わる。 相応の課金ということになるのだろうが、ただ、この変化はじわっと来るだろうし、たぶんもっと大きな別の変化に隠れて進むだろう。
「マーケティングとPRの実践ネット戦略(デビッド・マーマン・スコット)」(参照)は、2007年6月に出版された「The New Rules of Marketing and PR: How to Use News Releases, Blogs, Podcasting, Viral Marketing and Online Media to Reach Buyers Directly(David Meerman Scott)」(参照)の翻訳で、米国アマゾンでの読者評(参照)を見ても伺えるように、マーケティング部門で高い評価を得ているようだ。 内容は、「新ルール」が強調されている、オリジナルタイトルがわかりやすいかもしれない。つまり「マーケティングとPRの新ルール:書い手に直接届くオンラインメディアとして、ニュースリリース、ブログ、ポッドキャスティング、バイラル・マーケティングの利用方法」と
邦訳書のタイトル「ハチはなぜ大量死したのか(ローワン・ジェイコブセン)」(参照)からもテーマはわかりやすいだろう。2007年、米国や欧州の膨大な数の養蜂のミツバチが消失した。 養蜂の箱のなかに死骸があふれ出したわけではない。ミツバチたちはある日箱を飛び立ち、戻らなくなった。それが比較的短期間に起きた。あたかもミツバチが蒸発でもしたかのように忽然と消えたに等しい印象を与える。 が、死骸がまったく見当たらないというのでもない。箱のなかで死ぬ個体もある。この現象は蜂群崩壊症候群(CCD:Colony Collapse Disorder)と呼ばれている。 CCDは実に奇っ怪な現象で、シャマラン監督「ハプニング」(参照)の冒頭でもエピソードとして使われている。 ミツバチが全米各地で姿を消している。 こんなことが起きる原因は? 誰も? ハチの異変に興味ない? 見えない力が働いている。 何らかの攻撃のよ
午後から夕方から雨とのこと。昨日は大寒でたしかに寒いのだが、春はそう遠くないように思える。このところ各種本を読みながらいろいろ考える。まとまった考えというより、考えのメタ部分だろうか。書籍のほうがネットの情報より優れているといういう比較ではなく、どちらも選択できるということなのだが、梅田さんが言っていたように書籍は選べば構造的な知識が入手しやすい。 ネットの情報を見ていて思うのだが、集合知というよりも、集合して答えを探し求めているという印象が強く、そしてその方法論があまり意識されない。むしろ三行ほどでまとまる解答が求められている。しかし、方法論とはそうした解答よりある意味優位なもので、別の言い方をすれば解答は時代や状況で変わりうることが多い。その意味で、知識が構造化されるということは方法論の理解に繋がる。さらに、教授手法ということもいろいろ思うようになった。三行ほどでまとまる解答を得るには
続きというか⇒ブロガーを特徴付けるのはたぶん情報の「速度」なんじゃないかな - finalventの日記 「速度」というときネタの食いつき速度ではないと思うのですね。 しいていうと、ブログの速度は、ブログの「粘着度」の逆関数ではないかな。そして、この対立は、大衆性とセクト性に対応していると思う。 粘着系のブロガーって、関心域が狭いというか、ある意味でプロなんだろうけど、それ以外では普通にパープリン(死語)なんで、そこはだから出てこない。 速度のあるブロガーは、関心域が普通にパープリンの広がりではないかな。同じことだけど、「不確実だけどこう思うんだが」というのをさらっと出せることではないか。 つまり、self-centeredか、そうではなくてself-opennessか、というか。 ただ、このopennessというのは、私小説的な「私」ではないというか。 どちらにしても、表出部分では仮構性
⇒自主規制をどうワークさせるか - 池田信夫 blog 今度の規制については、「有害情報の例示」や「登録制」など問題は残るが、基本的に民間による自主規制という線が守れたのはよかった(高市氏は採決に欠席したそうだ)。 コメント欄を承認制の件では、へたれとか自己内の警察という批判も受けた。自律は律せられるに非ずということが通じない人は多い。 しかし限界だろうと、池信先生はいう。 これはもう民度の問題だ。Facebookのみならず、校内網でも日本人よりはるかに多くの中国人が実名で議論しているのに、日本のSNSもブログも匿名だから、人的ネットワークが広がらない。最近、急成長しているLinkedInでは、SNSで求職できるが、そういうビジネスも匿名では生まれない。 一般論としては「民度」というワードは議論停止になりがちなので、できるだけそこを避け、可能性を模索しないといけない。ただ、率直に言えば、や
ブログの運営のことでこれだけ悩んだのは久しぶり。いろいろ悩んだけどね。もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。ということにしました。 承認制というのは、コメントを書き込まれてもすぐには反映されないということです。私が判断して、これはないんじゃないかなというコメントはブログに反映しません。せっかく書いていただいたコメントも、私の承認がないかぎり、コメント欄に表示されないことになります。「死ね」と書かれたコメントは表示の承認をしません。みなさんからいただいたコメントを表示するかしないかは私が責任をもって決めます。 そして、もう一つ。ブログを持っているみなさんも、これから持とうとしているみなさんも、コメント欄を承認制にしたほうがいいですよ、とお勧めします。 「でも私の使っているブログじゃできません。はてなダイアリーにはそんな機能がないんです」という場合は、そんなブロ
エントリ書こうか、こういうのは書かないほうがいいのではないか、書いても意味ないんじゃないかとけっこう逡巡している自分が結局いるので、とりあえず書いてみる。特にまとまった意見も主張もないが。 問題は、まず、共同記事”日本アニメ、中東で非難”(参照)より。 【カイロ22日共同】日本の人気アニメ「ジョジョの奇妙な冒険」の中に、悪役がイスラム教の聖典コーランを読みながら主人公らの殺害を命じる場面があり、アラビア語圏のウェブサイトで批判が高まっていることが二十二日までに分かった。原作コミックスの出版元でアニメ製作も主導した集英社(東京)は同日、問題のアニメのDVDと原作コミックスの一部を出荷停止にすると発表した。 中東では「コーランを読めば悪者になるという趣旨か」などの書き込みが三百以上のサイトに拡大。イスラム教スンニ派教学の最高権威機関アズハルの宗教見解委員長アトラシュ師は「イスラムに対する侮辱で
⇒松本人志の硫化水素自殺発言ネタでJ-CASTニュースが炎上 :にゅーあきばどっとこむ ⇒livedoor ニュース - 【エンタがビタミン♪】松本ラジオ”放言”から見えた日本の常識。 ⇒はてなブックマーク - 吉本興業がJ-CASTに抗議 松本人志さんのラジオ発言に関する報道で - ITmedia News 米乱⇒コメント一覧 : J-CASTニュース : 松本人志が硫化水素自殺で「放言」 「アホが死んだら別に俺はええねん」 米乱2⇒この話題へのコメント数5291件 [ : 松本人志が硫化水素自殺で「放言」 「アホが死んだら別に俺はええねん」(J-CASTニュース)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース 39:2008年5月12日 12時25分 1,022点 ラジオ発言全文、どこに問題が? 松本 いま自殺も流行ってるでしょ。なんやあれ、液体の名前も出てけえへんわ 高須 あー、硫化水素ね
ああ、金曜日。 平安あれ。 余談だが、世の中、わかりやすさというのが求められているように思う。ま、今に限ったことではないけど。そしてそれがいい悪いということでもない。 ただ、ある種の問題は本質的に難しい。 そして、そうした問題は、ある種の簡単さにリダクトしてはいけない部分がある。 およそ、出版なんてものは、人口の5%で維持されると思っている(古典はさらに細く維持される)。統計的にということではないが。昔村上春樹は読者は10万人くらいと想定していた。ノルウェーの森で膨れた。そのことが彼にかなりダメージを与えた。そこを乗り切るかどうかが作家の本質に関わる事態になり、というか、日本を飛び出した。云々。 ブログもちょっと似たことが言える。 どう言えるかは少し難しい。これは、本質的な難しさというのではなく、表現しづらい。 本質的な困難さというか悪魔とでもいうか、そういうものに魅了されている存在という
「ウェブ時代をゆく(梅田望夫)」(参照)は当初思っていたより重厚で読み応えがあり、また提示されているいくつかのダイコトミー(二分法)が多少錯綜するかにも見えるので、図解的に整理してみたい気分にもなった。が、そうしていると読後の記録を逸しそうになるので、強引だが取りあえず自分の思いの側からエントリを書いておきたい。 読者対象はIT系志向の30歳から45歳の働き盛りのビジネスマンだろう。彼らに今後進展するウェブ時代の傾向と、どのように働き生き抜くかという課題を提示し、著者の知識と経験から具体的な対処の手法を各種示唆している。いくつかの部分は昨今流行のライフハック的な箇条書きにもまとめられるだろう。 本書の目論見は、twitterで対象範囲の読者たちの感想を私が散見した範囲では、正面から受け止めている。だが実践面で本書が説く「けものみち」、つまり大企業から離れて職業人として生きていく進路には、さ
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