翁長雄志知事は14日午前、沖縄県庁で記者会見を開き、沖縄県名護市辺野古の新基地建設で、仲井真弘多前知事が2013年12月に出した埋め立て承認を取り消す方針を表明した。公有水面埋立法上の瑕疵(かし)を認めた。県は同日、沖縄防衛局に対し、意見聴取に向けた通知を提出し、手続きに入った。
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この国が最後の戦争を終えてから、70年がたちました。戦後生まれは80%を超え、戦争を記憶している方は少なくなりました。とはいえ、誰しも周りを見回せば、戦争に人生を左右された方がきっとおられるでしょう。その一例として、わたし自身のことをお話します。 わたしの父は、3人兄弟の長男でした。戦争末期に召集され、小笠原諸島の父島で壕を掘っているうちに終戦になりました。次の弟は特攻隊員として、沖縄海域で死にました。末の弟は戦後、大学を卒業して商社に勤めました。 Photo by vasse nicolas,antoine(CC BY 2.0) そして敗戦から10年目、父は自ら命を絶ちました。もちろん、こんがらがった事情があったのですが、単純化するなら、父はすぐ下の弟のように戦争で死ぬことも、末の弟のように戦後を生きることもできなかったのです。父のような、時代のエアポケットに消えていった人々は、少なくな
これを「子供の喧嘩(けんか)」と言ったら子供たちに失礼であろう。内輪もめの末に分裂が決定的となった維新の党。結党からわずか1年で、破壊への道をたどった背景には何があったのか−。関係者の証言によれば、政界での存在感がとみに薄くなった、あの「壊し屋」の影がまたぞろ見え隠れする。 指定暴力団・六代目山口組(本部・神戸市)の内部抗争が表面化した8月27日。くしくも同じ関西でヤクザ顔負けの「もう一つの内紛」の狼煙が上げられた。 維新の党の「創業者」たる橋下徹大阪市長は同日、松井一郎大阪府知事とともに離党する一方、党分裂を回避する考えを示していた。ところが翌28日、一転して10月に国政新党を結成する方針を表明した。 当然、橋下氏にコバンザメのようにくっついている維新内の「大阪系」はこれに合流するわけで、松野頼久代表を中心とする「非大阪系」との分裂は既定路線となった。 もともと首相官邸の方を向い
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