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なるほどに関するchanmのブックマーク (5)

  • 「優しくされる資格なんか無い」「優しくされて当然」 - 誰かお尻拭いてください

    今、私のそばには「優しくしてもらって当然」の人がいる。彼女は、いつも自分の病歴を持ち出して同情を買おうとする。私を構って、優しくして、とまとわりつく。自分は優しくしてもらって当然だと思っているので、毎日は「優しくしてくれない人に対しての愚痴や不満」で埋まる。病気であることはかわいそうといえば、かわいそうなんだとは思う。優しくされて当然の人などいない - 鼻が赤くなりにくいティッシュです僕の周りにもいた。ものすごく寂しがり屋で構ってちゃんの男だった。ちょっとメールの返信が遅いと催促メールが来たり、時には自殺予告みたいなメールが来たりする。友達なんだから見捨てないでくれ!と何度も言われた。すごくイヤだった。ヒルにいつかれてエネルギーを吸い取られる、まさにそんな感じだった。こんな奴にはなりたくない、と思った。自分は感謝の気持ちを忘れないようにしよう、と思った。 基的にはこのエントリには同意す

    chanm
    chanm 2007/04/23
    知人にもいるけど"「優しくされて当然」じゃなくなったら、「自分なんかいない方がいい」"なるほどこの2択なのか。辛さから抜け出すほんとの選択肢は”自分が他人に優しくする”だけど、なかなか伝わんないよね。
  • 間違った生き方があるのか、本当の生き方があるのか、わからない - finalventの日記

    ただ、関係のなかで人は「罪」足りえる。 だけど、「罪」は許されうるかもしれないのに、その「罪」を逃れることで「愛」の可能性を失うこともあるのかもしれない。 そこが生きることの難所のようにも思うし、そうした難所にある人をあまり他人事には思えない。 でも、それは、語れば、欺瞞。人は、「罪」と「愛」の括弧を外して生きなくてはならないのだから。 私はこうしたことを考えるときティリヒを思い出す。 ティリヒはなぜこんな恐ろしいことを言うのだろう。 批判者になったり、反逆者になったりすることは、それほどむずかしすぎるなどということはありません。しかし、何かに対して妥協しない、自分に対してすら妥協しないで、しかも偶像礼拝に対する神の審きを告げることはたいへん困難です。その勇気ある行為が、苦難や殉教を招くかもしれないからというのではありません。失敗の危険を含むからです。私どもの意識のなかにある何かが、つまり

    chanm
    chanm 2007/03/01
    原罪の設定がある宗教は楽でいいなぁと思ったし悪人正機説もどうなんかなぁと思ってたけど。わりとマッチポンプって重要なのか。
  • 囲い込みメソッド - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 組織のとか、そんな面倒なことは考えないで、 中の人達を囲い込んで、ひたすらに安い価格で現状維持を目指す、そんな 思いっきり後ろ向きな方法論。 やりこみ要素 たとえスキルを磨けたとしても、それがあまりにも狭い世界でしか通用しない技術になってしまうと、 もはや全く潰しが効かなくなってしまう。潰しの効かない、 行き場のない人は安い値段で囲い込むことが可能。 バイク便の上手な人達というのは周囲から尊敬されるけれど、いくら技術を磨いたところで、 それは「バイクの操縦が上手」というだけ。その技術がいくら優れていても、 他の業界に通用する技術ではないから、高スキルの人が流出する可能性がほとんど無い。 技術者には穴倉的な狭い世界で存分に競っていただいて、 そ

    chanm
    chanm 2007/02/16
    ”転職に役立つ「手に職のついた状態」というのは、スタンドアロンでその技術を再現できること。”//Googleの社員囲い込みは”楽園化”で、はてなは”特別な言葉と習慣”で会員囲い込みかな。
  • 死ぬ間際の遠藤周作の心 - finalventの日記

    マルコ青年⇒明日また生きるぞ - 死ぬ間際の遠藤周作の心をガチで読んだよ まあ、そうかもしれない。 ただ、もっとテレーズと罪の問題だったかと私は思う。実際には脳に病理がなかったかとも思うけどよく知らない。 「わたしが・棄てた・女」については。 ⇒極東ブログ: 遠藤周作「沈黙」の自筆草稿発見に想う 名前だけリンク付きで言及した。 あまり語りたくない。 が、率直に言うと、この作品は完全に大衆作であり、文学的には失敗していると私は見る。ミツ(言うまでもなく罪)が主人公を結果的に救済している点だ。お涙頂戴風だが、この文学が描くべきは、ミツによって主人公の罪が救済されないことだった。しかしこの作品では結果的に救済を志向してしまった。 このあたりの読みについては(駄作でしょあれ的)、ヌーンさんとかユキさんとかは言うまでもなく普通の文学的な感性として持っていると思う、という以前に、キモくて読まないだろう

    死ぬ間際の遠藤周作の心 - finalventの日記
    chanm
    chanm 2007/02/03
    "普通は文学的な感性はメタな感性と同居しない。"
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「異種間の共感」

    ただ今公開中の映画 Inconvenient Truthでは、 民主党の前大統領候補だったアル・ゴアが、 地球温暖化について世界中を 講演行脚する様子が描かれている。 科学的なデータとしては 二酸化炭素の上昇とともに 地球の気温が上がっていることは 明白なのに、 その「不都合な真実」を見ようと しない人たち。 アメリカの車の排ガス規制は、 日やヨーロッパはもちろん、 中国のレベルと比べてさえも緩いという。 真実があるのに、それを見ようとしない。 そのギャップを埋めるために ゴアはがんばっている。 それで思い出したことがあった。 1997年に出版した『脳とクオリア』 の中で、私は反応選択性を徹底的に 批判した。 そして、神経細胞の間の相互関係に 基づく「マッハの原理」でなければ 意識の問題は解けないのだと主張した。 私にとっては、当時も(そして今も) これくらい明白な、論理的に明らかな 「

    chanm
    chanm 2007/01/26
    人間であることに閉じこもる必要はないよなあ。/cf. http://www.qualia-manifesto.com/kenmogi/qualia-summary.html#neuron
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