病後も続く人生 もちろんすんなりと受容できない障害もあったが、一方で病後の変わってしまった自分だからやれる仕事や、そんな自分を肯定できる部分もでてきた。 なるほど、これが受容の本質だ。受容には2種類ある。リハビリの現場などで忌避される受容は、「諦観を伴う受容」。自らの障害を認識した上で、抗うことをやめてしまうものだ。もう一方の受容とは、自らの障害を認識して見つめ、それによって周囲の環境調整を企図するものである。 そもそも立脚点として受容がなければ、僕はこうした自己観察もできず、周囲にそれをカミングアウトして理解と協力をお願いすることはできなかったろう。病前の自分のパフォーマンスに拘泥して「やれるはず」と意固地になっていれば、その闘病はずっとずっと苦しいものになっていたに違いない。 自身が脳梗塞に倒れて、同様に脳梗塞後に高次脳を抱えて家族や職場とうまく行かずに苦しんでいる人たちがいることを知