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artifactsに関するconsigliereのブックマーク (289)

  • 海昏侯墓出土の竹簡・木簡から多くの散逸儒教経典を発見 | 新華社通信

  • 出土品急増で収蔵庫パンク寸前に ホテル開発ラッシュの京都 : 京都新聞

    埋蔵文化財を保管している伏見水垂収蔵庫。収容スペースがひっ迫し、廊下などにも出土品があふれている(京都市伏見区) 京都市内で近年急増している埋蔵文化財の発掘調査に伴い、出土品の収蔵庫が容量超えになる懸念が高まっている。保管する遺物を絞り、施設内の廊下を置き場にして急場をしのいでいるが、収容可能なスペースの使用率は9割を超える。温度・湿度の管理など機能性や、耐震性に課題を抱える現状もある。 市内の発掘調査では、平安京をはじめとした古代や中近世、近代の地層が積み重なり、各年代の土器や瓦、木簡、金具、礎石などが出土する。仮にこれらが他地域に持ち運ばれ、「発見」されたことになれば、歴史を改ざんしてしまう。このため文化財保護法では自治体に収蔵が義務付けられており、廃棄や譲渡売却は簡単ではない。 市などによると、市内に8施設ある収蔵庫では計21万5千箱を収容できるとみているが、2018年末で既に約20

  • 平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-荷札木簡をひもとく-」第1~3期解説シート - なぶんけんブログ

    平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-荷札木簡をひもとく-」第1~3期解説シート を電子公開しました。 文をPDFで閲覧いただけます。 第1期:https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/23978 第2期:https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/23980 第3期:https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/23981 第Ⅰ期展示木簡 荷札のふるさと ・1大和国からの荷札 ・4遠江国からの雑魚腊の荷札 ・7下総国からの贄のワカメの荷札 ・10武蔵国からの贄のフナの荷札 ・15佐渡国からのワカメの荷札 ・16但馬国からの赤米の荷札 ・20安芸国からの白米の荷札 ・22淡路国からの調の塩の荷札 ・24阿波国からの小麦の荷札 ・28日向国からの牛皮の荷札 荷札のカタチ ・31備中国からの鍬

  • 伝説の名医·扁鵲は実在した! 中国医学の起源が早まる可能性も 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

    成都中医薬大学医史博物館に展示されている復刻された「老官山医簡」(撮影日不明)。(c)Xinhua News 【10月8日 Xinhua News】古代中国の伝説的な名医・扁鵲(へんじゃく)の著作はこれまで、古代医学文献の中には基的に残っていないとされてきた。だが、四川省にある成都中医薬大学の研究チームがこのほど、5年にわたる研究の末、扁鵲の存在を証明する証拠を発見した。これにより名医は「伝説」から抜け出した。 同大学の梁繁栄(りょう・はんえい)、和中浚(わ・ちゅうしゅん)、李継明(り・けいめい)、任玉蘭(にん・ぎょくらん)の各氏ら30人余りの中国医学者と古典文献学専門家の教授らから成る「老官山医簡」研究チームは、5年に及ぶ研究の末、成都市北郊の天回鎮にある前漢時代の墓「老官山漢墓群」から出土した医学に関する竹簡に記載された全ての文字を解読し、注釈を完成させた。関連研究成果は年内に出版さ

    伝説の名医·扁鵲は実在した! 中国医学の起源が早まる可能性も 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
  • 「十六むさし」と「八道行成(やさすかり)」 - なぶんけんブログ

    2018年10月 最近、我が家では子どもと一緒に「十六むさし」というゲームで遊んでいます。 十六むさしとは、四角と三角の外枠に縦横斜めの線を引いた盤面(図1)の上で、親駒と子駒を交互に動かして遊ぶ対戦ゲームです。親駒1個、子駒16個でゲームを開始し、親駒が子駒の間に入ったら子駒を捕って数を減らすことができ、逆に子駒が親駒を囲んで動けなくしたら子の勝ちです。似たようなゲームは西洋でも「キツネとガチョウ」ゲームとして知られています。 十六むさしは江戸時代に流行し、町人や子どもが遊ぶ姿が浮世絵などに描かれていますが、明治時代以降に廃れてしまい、現代ではほとんど遊ばれていません。 では、なぜ我が家で今、十六むさしで遊んでいるのか。それは、十六むさしが古代の盤上遊戯「八道行成」に由来するゲームと考えられていることに理由があります。 八道行成とは、平安時代の『和名類聚抄』に遊戯のひとつとして記載されて

  • 瑞龍遺跡出土の「国字刻んだ土器」の文様 - Cask Strength

    【茨城新聞】国字刻んだ土器出土 常陸太田・瑞龍遺跡 県教育財団は19日、常陸太田市瑞龍町の瑞龍遺跡の発掘調査で、平安時代の竪穴建物跡から、男女の交合を意味する国字「〓(ひるくながひ)」がヘラで刻まれた土器の底面が出土したと発表した。国字は漢字にならって日で作られた文字。同財団によると、この国字が刻まれた土器の出土は県内で初めて。(中略) 同財団によると「〓(ひるくながひ)」は、12世紀に書かれた藤原忠実の日記にも見られ、研究家の間では隠語として知られている。国字は奈良時代ごろから使われているという。「〓(ひるくながひ)」と刻まれた意味合いや、土器の用途などは不明だが、同財団は「今回見つかった破片は忠実の日記より200年も前のもので、国字の出現を考える上でも貴重な発見。また、この地域に有力者がいたと推測できる」と話す。 http://ibarakinews.jp/news/news.php

    瑞龍遺跡出土の「国字刻んだ土器」の文様 - Cask Strength
  • 叙事詩「オデュッセイア」刻んだ3世紀の粘土板発見 ギリシャ最古の記録か

    ギリシャのオリンピア遺跡で発見された叙事詩「オデュッセイア」の詩文が刻まれた粘土板。ギリシャ文化・スポーツ省提供(撮影部不明)。(c)"AFP PHOTO / Greek Culture Ministry 【7月11日 AFP】ギリシャ文化省は10日、ホメロス(Homer)の古代叙事詩「オデュッセイア(Odyssey)」の13行が刻まれた粘土板がペロポネソス(Peloponnese)半島のオリンピア(Olympia)遺跡で発見されたと発表した。粘土板はローマ時代の3世紀に遡るとみられ、ギリシャで見つかったオデュッセイアの文字記録としては最古の可能性がある。 古代オリンピックの舞台となったオリンピア遺跡では、ギリシャ考古学当局がドイツ考古学研究所(German Institute of Archaeology)と協力して3年にわたって表層部の発掘を行っていた。粘土板はゼウス神殿の近くで見つか

    叙事詩「オデュッセイア」刻んだ3世紀の粘土板発見 ギリシャ最古の記録か
  • 古墳時代の弓など木製品大量発見|NHK 奈良県のニュース

    明日香村で約1700年前の古墳時代の弓など、保存状態のよい木製品が大量に見つかりました。 奈良文化財研究所は「泥水につかって空気にふれない状態だったため腐が進まずそのまま残ったのではないか」と分析しています。 木製品が大量に見つかったのは、国内では最古級とみられる人工の池の跡が見つかった明日香村にある遺跡です。 奈良文化財研究所が池の跡の下を発掘調査したところ、古墳時代前半の木製の弓や横槌(よこづち)と呼ばれる道具など保存状態のよい20点余りの木製品がまとまって見つかりました。 このうち木製の弓は、残っている部分が長さ80センチ余りで、先端の部分が弦をかけるように加工されていて、表面には漆とみられる黒い塗料が塗られていました。 奈良文化財研究所は、「木製品は土の中で腐ることが多いが、見つかった場所が水分がたまる地形で、泥水につかって空気に触れない状態だったため腐が進まず残ったのではない

    古墳時代の弓など木製品大量発見|NHK 奈良県のニュース
    consigliere
    consigliere 2018/07/02
    おおー。材料は何か知りたい。梓かな、槻(ケヤキ)かな。
  • 鎌倉時代の仏像内部に大量の巻物など確認 奈良 法華寺 | NHKニュース

    奈良市の法華寺にある鎌倉時代の仏像の内部に、大量の巻物などが納められている様子が、最新の装置を使った奈良国立博物館による調査で確認されました。 そこで、奈良国立博物館が最新のCTスキャナーを使って調査したところ、高さ73センチの仏像の全体に空洞があり、頭の部分には、巻物や釈迦の遺物を納めた「舎利容器」と見られる器が合わせておよそ30、確認されました。 さらに胴の部分には、およそ150の経典と見られる巻物が敷き詰められているということです。 一度も取り出された形跡がなく、作られたままの状態と見られるということです。 法華寺の樋口教香住職は「驚きました。知恵を授ける仏様なので、ぜひ拝んでいただきたい」と話していました。 奈良国立博物館の岩田茂樹上席研究員は「内部にこれだけの量の品が確認されたのは珍しい。貴重な史料で、文化財としての価値がさらに高まった」としています。 この仏像は今月8日から27

    鎌倉時代の仏像内部に大量の巻物など確認 奈良 法華寺 | NHKニュース
  • 万籟山古墳:埴輪列が出土 ヤマト政権と交流裏付け /兵庫 | 毎日新聞

  • 青谷横木遺跡:平安期の勧請板出土 /鳥取 | 毎日新聞

    consigliere
    consigliere 2018/04/20
    承和十二年(845年)といえば、奇しくも大陸では会昌の廃仏で厳しい仏教弾圧がおこなわれた時期だよなぁ。
  • 正倉院宝物、唐の履物と裏付け 素材調査で - 共同通信

    唐からの舶来品と判明した正倉院宝物「繍線鞋」。つま先が欠けた方の底から、日には自生しない黄麻が検出された。(正倉院事務所提供) 正倉院に伝わる女性用の履物「繍線鞋」の素材に、日には自生しない黄麻(ジュート)が使われていることが繊維の分析で分かり、唐(中国)からの舶来品であることが裏付けられたと、宮内庁正倉院事務所が19日、発表した。正倉院紀要第40号に掲載された。 繍線鞋はスリッパのような形状で、つま先に花形の装飾や刺しゅうがある。光明皇后が756年に聖武天皇の遺愛品を東大寺に献納した際の目録「屏風花氈等帳」に8足を納めたことが記され、うち4足が正倉院に伝わる。 正倉院事務所によると、8世紀の唐では女性たちの間で「線鞋」と呼ばれる履物が流行していたことが文献から知られている。

    正倉院宝物、唐の履物と裏付け 素材調査で - 共同通信
  • 中国で2000年余り前の古酒見つかる

    西咸新区空港新城岩村にある秦人の墓で発掘された約300ミリの酒(2018年3月16日撮影)。(c)Xinhua News 【4月13日 Xinhua News】中国陝西省にある遺跡から、2000年余り前の古酒が出土した。 古代の秦の人々も酒を楽しんだのだろうか。2000年余り前の古代人はどのような酒を飲んでいたのだろうか。陜西省考古研究院はこのほど、西咸新区空港新城岩村にある秦人の墓の発掘調査の結果を発表した。発掘されたのは平民の墓で、年代は戦国時代末期から秦代にかけてのもの。何度も盗掘に遭っているものの、さまざまな材質の文化財約260点余りが出土し、その中でもひときわ目を引くのがしっかり密閉された銅の壷の中に残された今から2000年余り前の古酒だった。 銅壷は酒などを入れる青銅の礼器で、周の礼制によると、墓から出土した銅壷の多くは葬礼の課程で行われる「献祭」の儀式と関係があり、埋められる

    中国で2000年余り前の古酒見つかる
  • 平安京、新たに大型建物跡 未婚の皇女「斎王」の邸宅?:朝日新聞デジタル

    平安京で最大級の貴族邸宅とみられる平安時代前期(9世紀前半)の大型建物跡がみつかっていた京都市中京区の島津製作所三条工場内で、さらに1棟の大型建物跡が出土した。京都市埋蔵文化財研究所が23日発表した。「齋」と記された墨書土器もみつかり、専門家は、京都三大祭りの一つ、葵祭(あおいまつり)のヒロイン役のモデルとされ、古代には伊勢神宮や賀茂神社に仕えた未婚の皇女「斎王(さいおう)(斎宮(さいくう)、斎院(さいいん))」の住まいだった可能性を指摘する。 研究所によれば、現場は桓武天皇(在位781~806年)が造営した平安京の右京三条三坊五町にあたり、昨夏までの調査で東西21メートル、南北9メートルの大型建物跡を確認。その後の調査で、約12メートル北側から新たに東西14メートル、南北8・5メートルの大型建物跡が出土した。いずれも古い建物から建て替えられたとみられ、南北方向に大型建物2棟が並ぶ平安京で

    平安京、新たに大型建物跡 未婚の皇女「斎王」の邸宅?:朝日新聞デジタル
    consigliere
    consigliere 2018/03/24
    「「齋」と記された墨書土器もみつかり」
  • 沖ノ島の国宝、古代の輝きに 宗像、修復の26件公開 | 西日本新聞me

    世界文化遺産に登録された福岡県宗像市の沖ノ島から出土した国宝のうち、修復作業を終えた26件が21日、宗像大社で公開された。3年をかけてさびを取り、表面を補強した金銅製品は輝きを取り戻し、宗像大社は「古代祭祀(さいし)が行われた頃に近い状態に戻ったのではないか」と評した。 金銅製雛形五弦琴(こんどうせいひながたごげんきん)(7世紀)は緑色のさびに覆われていたが、青銅に金メッキを施した往時の姿に近づいた。伊勢神宮(三重県)に似た形の琴があるが、沖ノ島の方が古く、律令祭祀の源流は沖ノ島にあったと考えられるという。 沖ノ島では1954年からの学術調査で8万点の出土品があり、全て国宝に指定されている。81年に修復を始めたが、金属などが劣化し、傷みの激しい国宝は2015年から元興寺文化財研究所(奈良県)に修復を委託していた。 修復した国宝は7月に宗像大社神宝館で一般公開する予定。 =2018/03/2

    沖ノ島の国宝、古代の輝きに 宗像、修復の26件公開 | 西日本新聞me
  • ふくよか仏の顔、木札に墨絵 7~10世紀の如来像か:朝日新聞デジタル

  • 奈良期の木簡、銅の送り先記す 長登銅山跡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    美祢市教育委員会は13日、同市にある国史跡の「長登銅山跡」から、銅の送り先を記した奈良時代の木簡などが出土したと発表した。市教委などは「当時の利用実態を明らかにする貴重な手がかりだ」としている。 長登銅山は最古の国営銅山で、奈良時代から1960年まで採掘が行われ、銅は東大寺(奈良市)の大仏が初めて造られる時に使用された。同市教委は2016年から、銅山内の施設の配置を明らかにするため、調査を進めてきた。 今回発見された木簡は長さ約12センチ、幅約3センチ、厚さ約0・3センチ。表面には「家令余五十五」、裏面には「八月十一日知」と書かれている。調査した花園大(京都市)の竹内亮専任講師(日史学)によると、大臣らの秘書にあたる「家令」に約37キロの銅が8月11日に送られた、と読み取れるという。書体などから奈良時代のものとみられる。 同銅山ではこれまでにも、飛鳥時代の貴族・藤原鎌足の子、不比等に銅を

    奈良期の木簡、銅の送り先記す 長登銅山跡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 伊都国シンポジウム:弥生時代に文字使用か 硯の発見、北部九州で相次ぐ 福岡・糸島で討論 | 毎日新聞

    <日曜カルチャー> 魏志倭人伝に登場する「伊都国(いとこく)」のシンポジウム「伊都国人と文字」が先月、福岡県糸島市で開かれた。伊都国の中枢遺跡、三雲・井原(いわら)遺跡(同市)をはじめ、北部九州で近年発見が相次いだ硯(すずり)を巡って、当時の人々と文字の関係を探った。中国との外交交渉を続けてきた北部九州の先進性と、文字普及の可能性のある範囲の広がりだけでなく、沿岸部の集落間であった日常交易での使用の可能性も指摘された。【大森顕浩】 弥生時代の硯はこれまで、田和山遺跡(松江市)▽三雲・井原遺跡▽中原遺跡(福岡県筑前町)▽薬師ノ上遺跡(同)--で出土。古墳時代となる3世紀後半では比恵遺跡群(福岡市博多区)で確認された。いずれも古代中国・前漢が設置した出先機関「楽浪郡」のあった朝鮮半島北西部で出土した硯が原形とみられる。最初に出土した田和山遺跡(2001年)の硯は権力者の威信財とされたが、2例目

    伊都国シンポジウム:弥生時代に文字使用か 硯の発見、北部九州で相次ぐ 福岡・糸島で討論 | 毎日新聞
    consigliere
    consigliere 2018/03/11
    結構詳細な記事だな
  • 難波津木簡の講演会に行ってきました - まほろば

    先日ご紹介した「平安京出土「難波津」の歌の木簡と『古今和歌集』仮名序」の講演会に行ってきました。 会場は日女子大学です。大学体と目白通りを挟んだ向かい側の校舎で、角さんちの隣です。 司会の田中大士先生。 会場校の文学部長高野晴代先生の挨拶。 犬飼隆先生。 犬飼先生のスクリーンから。 同じくもう1枚。 高田祐彦先生。 シンポジウム。 上に載せた犬飼先生のスクリーンのお話しもありましたが、中心は2015年に平安京跡で発見された難波津木簡の性格です。 画像が小さいので、拡大して3分割して示します。 犬飼先生の読みでは、1行目は「なにはつにさくやこのはなふゆこもりいまはゝるへと□くや□のはな」、2行目は「□く□□るまらとすかたそえてはへるつとい□」。 犬飼先生のお考えは、1行目は木簡に多数見られる難波津の歌を書いたものであるが、2行目は散文であり、かつ「はべる」という語が見えるので、会話か手紙

    難波津木簡の講演会に行ってきました - まほろば
  • 古墳時代のすずり出土 福岡市の比恵遺跡群 「奴国で文字使用」 | 西日本新聞me

    福岡市は16日、比恵遺跡群(博多区博多駅南)から3世紀後半の古墳時代とみられる石製すずりの一部が出土したと発表した。遺跡群は古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「奴国(なこく)」の中心部にあり、市は「邪馬台国時代に奴国での文字の使用を示す貴重な発見」としている。 市埋蔵文化財課によると、出土した石製品は、板状で幅4・7センチ、長さ最大5・4センチ、厚さ0・8センチ。形状や、表面の磨かれ具合などから、すずりとみられるという。2016年7~8月の事務所建設に伴う発掘で見つかり、専門家に調査を依頼して判明した。 筆やすずりなどの文具は、弥生時代中期(紀元前1世紀前後)以降に、朝鮮半島から西日に広まったとされる。弥生時代のすずりは、三雲・井原遺跡(福岡県糸島市)や中原遺跡(同県筑前町)など4遺跡で出土しているが、その後の古墳時代前期(3世紀後半)のすずり出土は国内で初めてとい

    古墳時代のすずり出土 福岡市の比恵遺跡群 「奴国で文字使用」 | 西日本新聞me