世界文化遺産になっている奈良市の薬師寺で、中世の戦火などで失われていた「食堂」と呼ばれる建物が再建され、完成を祝う法要が営まれました。 当時の伽藍(がらん)全体を復興させようと、去年3月から再建工事が進められ、このほど完成しました。 完成した「食堂」は幅およそ40メートル、高さおよそ15メートルあり、26日は再建を祝う落慶法要に関係者およそ1700人が参列しました。 法要では、薬師寺の村上太胤管主が「食堂」の本尊である「阿弥陀三尊浄土図」に特大の筆を向けて魂を入れる儀式を行いました。参列した人たちは、僧侶たちによる読経の中、本尊に手を合わせていました。 「食堂」が再建されたことで、薬師寺が取り組んできた伽藍の復興はほぼ完了したことになります。 村上管主は「多くの人が集い、仏教への理解を深める場所にしたい」と話していました。 落慶法要は27日と28日も営まれ、「食堂」はことし7月1日から一般
出版文化の源流-京都仏教書肆創業一覧 屋号 期間 創業地 種類 菱屋/文昌堂 慶長 (1596)~現在 錦通新町西入ル 真宗 平楽寺 慶長 (1596)~現在 二条通烏丸西入ル 日蓮 菱屋/松柏(栢)堂 慶長 (1596)~昭和6.9 今出川 儒学 丁子屋/護法館 寛永 (1624)~大正12.10 五条橋通扇屋町 真宗 杏林軒/文石堂 元禄 (1688)~明治 五条通高倉東入ル 本屋/麗沢堂 正徳 (1711)~明治末期 古門前縄手東入ル 浄土 堺屋/尚書堂 宝暦 (1751)~明治 三条通柳馬場東南 升屋 明治 (1764)~明治27 富小路通三条上ル 儒学 山城屋/文政堂 文政 (1818)~現在 蛸薬師通高倉西入ル 菱屋/法文館 天保11 (1840)~昭和27頃 五条通高倉東入ル 真宗 丁子屋/法藏館 嘉永3 (1850)~現在 上珠数屋町烏丸東入 真宗 丁子屋 嘉永6前(185
現在、『発心集』の翻刻をしているのだが、ちょうど往生説話を翻刻していて、昨年行った九品仏浄真寺のことを思い出した。 九品仏浄真寺に行ってきた:2016年05月08日 この寺は関東ではめずらしく、三年に一度来迎会をやる。以前は8月にやっていたのを、あまりに暑いので次回から5月にすると聞いたが、ハテ、次回とはいつだったか。さっそく調べてみたら、今年の5月5日である。これも何かの縁だ。というわけで行ってみた。 来迎会とは、簡単に言うと人間が死んで極楽往生する時の様子を再現したものである。浄真寺は西を向いた本堂と、東を向いた阿弥陀堂が向かい合っている。西向きの本堂(本尊は釈迦如来)を現世、阿弥陀堂を来世の極楽浄土に見立てている。本堂を阿弥陀堂の間に橋をかけて、そこに仏菩薩の面をつけた人が練り歩き、極楽往生を再現するのである。 まず、阿弥陀堂から本堂に向けてお迎えが来る。このとき、二十五の菩薩と阿弥
法隆寺第128世住職を務めた同寺長老の高田良信(たかだ・りょうしん)さんが26日、老衰のため死去した。76歳だった。葬儀は家族で営んだ。告別式は5月8日午後1時から奈良市富雄北1の7の7の公益社富雄会館で。喪主は妻登久子(とくこ)さん。自宅は奈良県斑鳩町法隆寺山内1の10の法隆寺実相院。 奈良市出身で、1953年に12歳で佐伯良謙・法隆寺住職の徒弟に。執事長や副住職などを経て95年から3年半、同寺の住職を務めた。 寺の古瓦や古記録の研究を進め、寺の歴史を探る「法隆寺学」を提唱。寺宝を掘り起こす「法隆寺昭和資財帳調査」を実施する一方、飛鳥時代の国宝・百済観音像を安置する百済観音堂の新築に奔走した。97年には日仏両政府の要請に応じ、同観音像を「日本年」の目玉としてパリ・ルーブル美術館に出展させた。著書に「法隆寺の謎」「法隆寺学のススメ」など。
東京芸術大と富山県高岡市、南砺市などでつくる協議会は、飛鳥仏の代表として知られる奈良・法隆寺の「釈迦三尊像」(国宝、7世紀)を3Dプリンターや伝統技術で複製し、16日、東京・上野の同大で報道陣に公開した。本物は門外不出だが、複製は高岡市のウイング・ウイング高岡で3月10~20日、再現された同寺金堂壁画と共に一般公開される。 東京芸大が、3次元計測した高精細なデータを元に3Dプリンターで樹脂製の原型を制作。それを元に銅器製造で知られる高岡市の伝統工芸高岡銅器振興協同組合が金銅の像を鋳造、井波彫刻協同組合が木製の台座を手掛け、東京芸大のスタッフが仕上げと着色を行った。 本物と同じ材料を使い、同じ質感を再現しているのがポイント。完成間近の釈迦三尊像はアーモンド形の目に微笑をたたえた釈迦如来、脇侍(きょうじ)ともにしっかりとした造りで、本物そっくり。この日は報道陣に、木製台座の着色などの最終工程の
法事やお盆になると墓に立てられる卒塔婆(そとば)。先祖の戒名やお経が書かれた細長い木の板だ。いま、ドイツなど外国産がほとんどだという。なぜなのか。 古代ローマ人が「黒い森」と呼んだドイツ南部のシュバルツバルト地域。木々がうっそうと連なる、のどかな山あいの製材所「エシュテル」の工場に、厚さ1センチ、幅10センチ、長さ1メートルほどに切られた木の板が天井近くまで積み上がっていた。 「ここにあるのはすべて日本向け。12年ほど前、日本人が買い付けに来てから作り始めました」と社長のマヌエル・エシュテルさんは説明する。板の素材は、トウヒと呼ばれるドイツでポピュラーな針葉樹だ。直径50センチにもなる大木から切り出す。木肌が白くて美しく、木特有のにおいも少ない。棺おけやかまぼこの板としても引き合いがある。年間、卒塔婆約150万本分を輸出しているという。 全国有数の卒塔婆の産地、東京都日の出町で年間200万
金西寺に伝わる「当寺御開山御真筆」を手にする高崎俊幸住職(左)と調査した島田大助・豊橋創造大教授=愛知県豊橋市役所で、石塚誠撮影 愛知・豊橋の寺で発見 悪感情読み取れる 愛知県豊橋市の金西寺(曹洞宗)に伝わる古文書に、織田信長を批判的に評した詩文が引用されていたと島田大助・豊橋創造大教授(日本近世文学)や高崎俊幸住職が発表した。島田教授は、仏教界の信長に対する悪感情が読み取れるとしている。 文書は、寺を開いた月岑牛雪大和尚が江戸時代初期の1619年以降に書いたとされる開山記「当寺御開山御真筆」。 その冒頭に、近江国(現在の滋賀県)出身で京都・東福寺の住持を務めた集雲守藤の別号とされる江湖散人の詩文が引用されていた。詩文は、信長が明智光秀に討たれた本能寺の変の翌月の1582年7月に作られたとみられる。
京都市の小さな寺にある、江戸時代のものと思われていた仏像が、実は、仏教が日本に伝来して間もない頃に朝鮮半島で作られた極めて貴重な仏像の可能性が高いことが、大阪大学などによる最新の調査でわかりました。専門家は「こうした貴重な文化財は、ほかにも埋もれている可能性がある」と指摘しています。 この仏像について、大阪大学や東京国立博物館の研究者が改めて鑑定したところ、額に刻まれた模様や装飾品の龍のデザインなどが6世紀から7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像や出土品の特徴と一致していました。さらに、仏像にX線を当てて金属の成分を詳しく調べた結果、銅がおよそ90%、スズがおよそ10%で鉛はほとんど含まれていませんでした。こうした割合は日本や中国の仏像にはなく、7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像である可能性が極めて高いことがわかったということです。 この時代は、日本に仏教が伝わってまもない時期に当たりますが
記事一覧 平安期・平泉寺の落慶法要文献発見 延暦寺支援、泰澄大師の名、旧跡も (2017年1月3日午前7時10分) 国宝称名寺聖教のうち「上素帖」。傍線部に「大(泰)澄大師」と書かれている(称名寺所蔵・神奈川県立金沢文庫管理) 平安時代後期に、平泉寺(福井県勝山市の現平泉寺白山神社)で行われた大講堂の落慶法要について記した文献が見つかった。比叡山延暦寺から導師を招いていたことや、6体の仏像を安置した大講堂の内部空間が判明。白山を開いたとされる「泰澄大師」の名や旧跡も記され、この時期に泰澄伝承が広まっていたことも分かった。専門家は、平泉寺の歴史や泰澄研究の重要な史料とみている。 文献は、国宝称名寺聖教(しょうぎょう)「上素帖(じょうそじょう)」。この中から、東大史料編纂所特任研究員の阿部美香さんが平泉寺の「堂供養」に関する2点の史料を発見し、このほど福井市で開かれた学術団体「藝林会」の研究
豊臣秀吉の正室、北政所(きたのまんどころ)ゆかりの寺「高台寺」(京都市東山区)に建設中の礼拝聴聞室「利生堂(りしょうどう)」の内装が完成した。 利生堂は、新たな礼拝や講演会の場を提供しようと平成25年から建設を開始。涅槃(ねはん)図の沙羅双樹を象徴する8本の柱が高さ6メートルの天井を支え、堂全体が八角形の形をしている。 約120人収容。天井や壁一面には、スキャナーメーカー「ニューリー会社」(京都府久御山町)が、南北朝時代の『八相涅槃図』(同寺所蔵)をデジタル技術で再現。釈迦の布のしわまで精密に表現されている。 同寺の後藤典生執事長(68)は「普段は1年に1回しか公開されていない高台寺の涅槃図の世界観を体験してもらえれば」と話した。 建物外側の植林作業などが進んでいるため、一般公開は今月末の予定。入館料などは設定しないという。 問い合わせは同寺((電)075・561・9966)。
自民党がわずか5時間33分の審議時間で衆院内閣委員会で採決を強行したカジノ解禁法案の質疑では、推進派である自民党の谷川弥一・元文部科学副大臣(長崎3区)が「(質問)時間が余っている」と言って、法案の内容とは直接関係のない般若心経を唱えて解説し、自分の持ち時間を費やす場面があった。 谷川氏は法案が審議入りした11月30日の衆院内閣委員会で、40分間の質問時間をもらって最初に質問に立った。最初はカジノ合法化の理由をただしていたが、28分が過ぎた時点で「一応質問が終わったのですが、あまりにも時間が余っているので」と前置きし、「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時……」と般若心経を唱え、「『般若波羅蜜多』は『般若』は知恵、『蜜多』は行く、『波羅』が彼岸、『幸せになるための道』ということなんです。『どうしたら幸せになるの?』といったら『無念無想で生き抜け』ということなんです」などとしゃべり続けた。 それでも
顔の正面の大部分や右手が鋳造当時のものだという研究結果が出た飛鳥大仏(奈良県明日香村の飛鳥寺で。藤岡教授提供) 文献上、日本で鋳造された最初の仏像だが鎌倉時代に火災に遭った記録がある奈良県明日香村、飛鳥寺の本尊・飛鳥大仏について、藤岡 穣 ( ゆたか ) ・大阪大教授(東洋美術史)らの研究グループが調査し、「顔部分のほとんどは7世紀の造立当初のものとみられる」と判断した。 像の大部分が後世の補作だとするなど諸説あったが、重要な部分が古代の姿のままだったことになる。 調査は今年6月、大阪大や東京文化財研究所、韓国国立中央博物館などの研究者約30人により行われた。 研究グループは、顔と胴体の制作時期の前後関係を検討。顔の正面は、目や顎、額などに継ぎ目がなく、一体で造られた状態で残っており、ほとんどが当初のままと判断した。様式も奈良県内などに残る飛鳥仏と似ているという。顔に小さな銅板を留めてある
歌や踊りで仏教の教えを伝える5人組女性アイドル「てら*ぱるむす」が6日、京都市下京区の龍岸寺でお披露目の「デビュー法要」を行う。メンバーは菩薩(ぼさつ)という設定で「煩悩多き衆生とともに修行する」をテーマに、日夜、練習に励んでいる。 てら*ぱるむすは京都市内の寺院5カ所で開かれる催し「十夜フェス」の一環で結成された。グループ名は「寺」と1兆を意味する単位「テラ」を掛けた言葉と、合掌をイメージし手のひらを意味する英語「パルムス」を組み合わせた。「地球上の何兆もの生命体と暮らしよい世界をつくる」という願いを込めた。 メンバーは京滋の芸術系大学の1、2年生。それぞれ勢至、文殊、観音、普賢(ふげん)、弥勒の各菩薩にちなんだ名前を持ち、仏教の五色から紫、白、赤、黄、緑をテーマ色にしている。 十夜フェスは、仏教行事「十夜法要」をもとにしたイベントで、若者に寺へ足を運んでもらおうと、昨年から僧侶と
奈良市の新薬師寺から1943年に盗まれて行方不明になっている白鳳時代(7世紀半ば~8世紀初め)の仏像の傑作、重要文化財・銅造薬師如来立像(通称・ 香薬師 ( こうやくし ) 像)の右手部分が盗難を免れていたことが分かった。 行方を調査したノンフィクション作家の貴田正子さん(47)がそれに当たるとする右手を確認し、昨年10月に同寺で返還の法要が行われた。文化庁は科学調査を実施し、本体が未発見のため断定はできないものの、「白鳳時代のものとみて矛盾はない」としている。 香薬師像は高さ約75センチの金銅製。奈良・法隆寺の観音菩薩立像(通称・ 夢違 ( ゆめちがい ) 観音)や東京・深大寺の釈迦如来 倚 ( い ) 像と並び、白鳳仏の代表とされる。明治時代に2度盗難に遭って寺に戻ったが、43年に三たび盗難に遭い、行方不明となった。右手部分は、最初に盗まれてから寺に戻る間に切断され、発見後に本体とつな
■期 間:平成28年10月29日(土曜)~11月20日(日曜) 午前10時~午後5時30分(入館は午後5時まで) ※入場無料、作品保護のため月曜日休館(ただし10/31は開館) ■場 所:佛教大学宗教文化ミュージアム 第一研究成果展示室(アクセス・周辺マップ) ■内 容: この展示は、明治仏教から現代にいたる活字版の大蔵経と、それに伴って出版された各宗典叢書類や仏教辞典、さらに各宗で作成された宗派辞典を紹介し、その出版の流れを概観するものです。編纂者の思いの一端を「近代の大蔵経」「各宗聖典」「仏教辞典」「各宗辞典」の四部にわけて展観し紹介します。 <関連講演会「近代の大蔵経・宗典叢書と仏教辞典類の刊行」> ■日 時:平成28年11月12日(土曜)14時開演 (入場無料・事前申込不要) ■場 所:佛教大学宗教文化ミュージアム 宗教文化シアター(アクセス・周辺マップ) ■定 員:130名 ■プ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く