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historyとartifactsに関するconsigliereのブックマーク (79)

  • 韓国扶余陵山里古墳群発掘 2基は百済王陵級

    扶余陵山里(プヨ・ヌンサンリ)古墳群で百済王陵級と推定される古墳が確認された。韓国文化財庁〔庁長・羅善華(ナ・ソンファ)〕は6月から忠清南道(チュンチョンナムド)扶余陵山里古墳群の西側地区で発掘調査を進め、これまで知られていなかった3基の墓を新たに発見し、記録だけで存在していた4基の墓の正確な位置を特定したと20日、明らかにした。また、すでに発見されている4基の古墳のうち2基は王陵級の古墳である事実も新たに確認した。 扶余陵山里古墳群は日帝強占期に3回(1915年、1917年、1937年)調査が実施されて計15基の古墳が確認された。その後、1960年代に封墳(地上の盛り土がされている部分)を整備するなかで古墳2基が新たに確認され、現在まで計17基の古墳があることが分かっている。ところが今回の調査で古墳3基の存在が新たに確認され、ここに発掘調査された古墳2基が王陵級である事実まで確認されたこ

    韓国扶余陵山里古墳群発掘 2基は百済王陵級
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    consigliere 2016/09/21
    おお、武寧王の木棺と同じく高野槇(金松)か!
  • 菅原道真晩年の屋敷跡か 太宰府市、祭祀用遺物も出土 [福岡県] - 西日本新聞

    「南館」で菅原道真が晩年を過ごした時期と重なる掘っ立て柱建物跡が見つかった発掘現場=25日午後、福岡県太宰府市の榎社境内 写真を見る かめ(土師器)の中に重ねるように入れられていた坏。祭祀に用いられた可能性があるという 写真を見る 写真を見る 福岡県太宰府市教育委員会は25日、10世紀初めに都から左遷された菅原道真が過ごした「南館」があったとされる榎社(同市朱雀)境内の発掘調査で、9世紀後半~10世紀前半の掘っ立て柱建物跡や溝跡が見つかったと発表した。溝から、かめに坏(つき)を重ねて入れた祭祀(さいし)用とみられる遺物も出土。市教委は「菅公(道真)がこの地で最晩年を過ごした時期(901~03年)と重なる注目すべき遺構」としている。  市教委は6月から調査を進め、平安時代の掘っ立て柱建物跡3棟などを確認。うち1棟は出土土器から9世紀後半~10世紀初頭と判明した。これまでにも南館跡の一部とみら

    菅原道真晩年の屋敷跡か 太宰府市、祭祀用遺物も出土 [福岡県] - 西日本新聞
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    consigliere 2016/08/26
    「「草堂」とも表記し瓦ぶきでなかったことをうかがわせる」
  • 東京国立博物館:最古級、7世紀木簡か 法隆寺献納宝物に | 毎日新聞

    東京国立博物館は22日、所蔵する「法隆寺献納宝物」の中から、7世紀にさかのぼる可能性の高い木簡が見つかったと発表した。出土品ではなく、保管されてきた伝世品としては最古級。寺院の運営、生活の様子を知る資料という。8月23日〜9月19日、同館で公開する。 奈良文化財研究所との共同調査で、先月8点を確認し、うち4点から文字が読み取れた。そのうち1点(長さ約30センチ、幅約3センチ)の表面には「月生十五日売俵十一得直七秤□五※其□」と書かれ、物品売買の記録とみられる。月初めを意味する「月生(つきたちて)」、「※」という単位など、時代が下る奈良時代には見られ…

    東京国立博物館:最古級、7世紀木簡か 法隆寺献納宝物に | 毎日新聞
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    consigliere 2016/07/22
    ほえー。なお、「月生」については太田晶二郎の論文を参照されたし
  • 「邑姜」の墓出土か - 枕流亭ブログ

    陝西省宝鶏市の石鼓山墓地4号墓の被葬者が、太公望の娘で、周の武王の后である「邑姜」ではないかという説が出ています。 http://ex.cssn.cn/wh/wh_kgls/201607/t20160714_3121143.shtml 4号墓の副葬品から被葬者は女性らしいこと。4号墓と相似し、密接な関係のある3号墓出土の青銅器の族徽から、西羌の首長の有扈氏の墓であるらしいこと。3号墓出土の「中臣鼎」の銘文に「帝后」とあり、これが亡くなった王の配偶者を指す用語であることなどが、比定の根拠となっているようです。 封神演義 20 (ジャンプコミックスDIGITAL) 作者: 藤崎竜出版社/メーカー: 集英社発売日: 2013/12/20メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る

    「邑姜」の墓出土か - 枕流亭ブログ
  • TBS NEWS DIG | TBS/JNNのニュースサイト

    【速報】殺人未遂と火炎瓶処罰法違反など疑いで再逮捕へ 自民党部と総理官邸襲撃で現行犯逮捕の男 警視庁公安部 先月、東京・永田町の自民党部と総理官邸が襲撃され、男が現行犯逮捕された事件で、男が機動隊員に火炎…

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  • 古代山城の保存整備へ 動乱の7世紀東アジアを映す 歴史新発見 愛媛県西条市・永納山城 - 日本経済新聞

    古代国家の存亡をかけ、7世紀後半に西日で山城が相次いで築かれた。そのうちの一つ、愛媛県西条市の永納山城で、列石や土塁など城壁の保存や整備に向けた調査が行われている。永納山城では鍛冶炉跡がみつかるなど実態がよくわかっていない古代山城で貴重な発見がこれまでに報告されている。西条市教育委員会はさらに調査を進め、整備計画をまとめる予定だ。愛媛県西条市と今治市にまたがる市境の丘陵に永納山城はある。標高

    古代山城の保存整備へ 動乱の7世紀東アジアを映す 歴史新発見 愛媛県西条市・永納山城 - 日本経済新聞
  • 「漢委奴國王」は「真印」 研究者発表 後漢の字形、金の含有率

    <日曜カルチャー> 江戸時代に福岡市・志賀島で発見された「漢委奴國王」金印をテーマにしたシンポジウム「金印論争終結!?」が11月8日、福岡市博物館で開かれた。金印を贋作(がんさく)とする近年の指摘に対し、新たな分析結果を紹介し「真印」と唱える研究者らの反撃の舞台となった。【大森顕浩】 福岡でシンポ「金印論争終結!?」 「金印は贋作」あるいは「真印説は疑問」とする指摘は江戸時代からあった。しかし、1960年代に実施された金印の詳細な計測結果が、真印とする考古学的根拠とされ、真印説が長く定着してきた。計測によると金印の印面の一辺は2・341〜2・354センチ、平均2・347センチと判明した。金印が作られたとされる後漢時代の1寸の実際の長さとほぼ一致する点から「江戸時代には後漢の1寸の長さは分からないはず」と考えられたため、志賀島の金印は真印とされてきた。 ところが、21世紀になって、金印が出土

    「漢委奴國王」は「真印」 研究者発表 後漢の字形、金の含有率
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    consigliere 2015/12/06
    というか、「有力」な贋作説ってあったっけ?
  • 古代役人一覧の木簡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    奈良市の平城京跡で、下級役人とみられる四十数人の名前を記した木簡が、奈良文化財研究所の調査で出土した。職場に掲げた「職員の一覧表」とみられ、同研究所は「役所の構成員をまとめて記した木簡は国内初では」としている。 同研究所が3年ぶりに刊行した、木簡調査の報告書で紹介した。木簡は長さ118センチ、幅14センチ。平城宮跡の西側にある同研究所の建て替えに伴い、2014年4月~15年2月に行った調査で見つかった、約1メートル四方の井戸の枠板の一部に転用されていた。 「大初位下依智秦公□□」(□は判読不能)や「直丁(じきちょう)」など、人名や位階、役職を、6段にわたって丁寧な楷書で記載。秦氏など渡来系の技術集団の名が多くみられ、上部は欠けていることから、さらに上位の人名もあったらしい。渡辺晃宏・史料研究室長は「人事異動などで掲示を終えた後、再利用したのだろう。ここまで立派な名簿木簡は初めてで、井戸枠に

    古代役人一覧の木簡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
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    consigliere 2015/12/05
    魚名の署名の画像をはよ
  • <多賀城跡>平安時代の礎石式やぐら跡発見 | 河北新報オンラインニュース

  • 薬師寺東塔:土台下から和同開珎4枚出土 創建時の地鎮 - 毎日新聞

  • 鞠智城東京シンポジウム / 熊本県

  • エラーページ - 産経ニュース

    ページが存在しません 指定されたURLは存在しませんでした。 5秒後に産経ニューストップページへ移動します。 産経ニューストップへ

  • 「古代スルガの王」が出現か 最初期屈指の前方後方墳 歴史新発見 沼津市の高尾山古墳 - 日本経済新聞

    3世紀(古墳時代早期から前期)築造の古墳がないとみられてきた静岡県東部で、出現期の大型前方後方墳の発見として注目を集めた静岡県沼津市の高尾山古墳。研究者によって造営時期の見解に隔たりはあるものの、沼津市教育委員会は230年ごろ築造、250年ごろ埋葬との調査結果を昨年公表した。「古代スルガの王」を埋葬したとみられ、研究者は「古墳時代最初頭の重要遺跡」と指摘している。JR沼津駅北口から県道169号

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  • 679年の筑紫国地震で倒壊 円墳4基見つかる : 文化 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    久留米市は20日、同市田主丸町益生田(ますおだ)の益生田古墳群で、679年の筑紫国地震で倒壊したとみられる円墳4基が出土したと発表した。ほぼ真下を震源の水縄(みのう)断層が走り、壊れた土器と地震の年代がほぼ一致したという。識者は「被害の規模や範囲を解明する上で貴重な資料」と注目している。 筑紫国地震は日書紀に記され、被害状況が記録された国内最古の地震とされる。断層の長さは、うきは市から久留米市に至る約20キロで、阪神大震災に匹敵するマグニチュード7・2の規模と推定されている。筑後地方の古代遺跡でも地割れや液状化などの痕跡が多数見つかっている。 益生田古墳群は6世紀後半の築造で、耳納山麓に100基以上あるという。1980年から調査が始まり、第4次となる今回は私有地の造成に伴い、昨年6月から発掘を開始。直径10メートル前後の円墳4基が出土し、いずれも遺体を安置する玄室の石組みや石柱が北側に傾

    679年の筑紫国地震で倒壊 円墳4基見つかる : 文化 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 弥生時代の銅鐸7個、砂置き場で発見 淡路島:朝日新聞デジタル

    弥生時代前期末から中期初頭ごろ(紀元前3~紀元前2世紀)の最古級のものを含む銅鐸(どうたく)7個が、兵庫県南あわじ市(淡路島)の石材セメント製造会社の砂置き場で見つかった。県教委などが19日発表した。市内沿岸部に埋まっていたものが、砂ごと採取されたらしい。「第一級の価値がある」としている。 銅鐸の大量出土数としては、島根県・加茂岩倉遺跡(39個)、滋賀県・大岩山(24個)、神戸市・桜ケ丘遺跡(14個)に次ぐ4番目。県教委は元の埋納場所の特定を急ぐ方針で、発見数は増える可能性がある。 7個は青銅製で、高さ約22~32センチ、重さ約1~2キロ(いずれも一部は不明)。鈕(ちゅう)(つり手)の断面の分類によると、1個は全国で11個しか確認されていない「菱環(りょうかん)鈕式」で、6個は「外縁付(がいえんつき)鈕式」(弥生中期)だった。 銅鐸内部につるして鳴らす青銅製の「舌(ぜつ)」も3個(長さ約8

    弥生時代の銅鐸7個、砂置き場で発見 淡路島:朝日新聞デジタル
  • 平城京跡:「奈良京」表記…最古の木簡発見 - 毎日新聞

  • 鶴見神社でお宝がザックザク!? ご神木の根元から発掘された「秘宝」の正体とは? - はまれぽ.com 神奈川県の地域情報サイト

    ココがキニナル! 鶴見神社にあった大きな4のケヤキの木。昭和30年代に全て切られてしまったそうですが、木の根元から宝がたくさん出て来たそうです。この宝は何だったのでしょうか?(ねこぼくさんのキニナル) はまれぽ調査結果! ケヤキの根から出たお宝は、弥生時代・古墳時代の神前の祭事に使われたと思われる土器。現在は、神社の寶物殿(ほうぶつでん)に収納されている 古い歴史のある神社! 今回のキニナル調査は、神社のケヤキの木の下から出てきという“宝物”について。 “木の下から宝物が出てきた!”というのは心ときめく話だが、そんなおとぎ話のようなことが当にあるのだろうか? どんな宝物なのだろうか!?(ケヤキの木のイメージ・フリー画像より) さっそく鶴見神社でお話を伺うことに。 鶴見神社はJR鶴見駅と京急鶴見駅から徒歩5~6分で行くことができる。 鶴見神社の全景 対応してくださったのは、宮司の金子元

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  • 漆紙文書と漆工房 « 名古屋大学出版会

    目 次 例 言 序 章 課題と方法 1 書の課題 2 書の構成 第Ⅰ部 漆紙文書と漆工房 第1章 漆紙文書の来歴 はじめに 1 漆の流通と漆紙文書 —— 平城宮・京跡出土資料を中心に 2 地方出土漆紙文書の来歴 おわりに 第2章 古代の漆工 はじめに 1 漆工製品とその生産 2 漆の調達 3 官によらない漆の流通・使用 おわりに 付 章 漆紙文書調査の手引き 第Ⅱ部 漆紙文書にみる律令国家 第1章 漆紙文書にみる民衆支配 —— 死亡人の把握をめぐって はじめに 1 法制史料にみる戸籍・計帳の作成過程 —— 死亡人の把握を中心に 2 正倉院伝来籍帳類の分析 3 出土文字資料の中の籍帳類 4 国府における死亡人の管理 5 正税出挙と死亡人 おわりに 付 章 漆紙文書の中の戸籍・計帳類 第2章 漆紙文書にみる土地支配 —— 災害による租税免除をめぐって はじめに 1 災害による租税免除に関わ

  • 平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-木簡を科学する-」第2期解説シート - なぶんけんブログ

    平城宮跡資料館秋期特別展「地下の正倉院展-木簡を科学する-」第2期解説シート を学術情報リポジトリで公開しました。 文をPDFで閲覧いただけます。 http://repository.nabunken.go.jp/dspace/handle/11177/2347 木簡と探査 4東方官衙大土坑出土の木簡4─アユのなれずしの付札 5東方官衙大土坑出土の木簡5─カツオの付札 6東方官衙大土坑出土の木簡6─銭千文の付札2 木簡を観察する 12板目材の木簡3─鰯を請求する文書 13板目材の木簡4─宣命体の習書木簡2 18柾目板の木簡3─造東大寺司の工人の呼び出しに関わる文書の断片 19柾目材の木簡4─続労銭(勤務実績を続けるために納める銭)の付札 23ヒノキの木簡2─丹波国から納められた白米の荷札 26スギの木簡2─隠伎国から納められたワカメの荷札 29広葉樹の木簡2─筑後国から納められたアユの荷

    consigliere
    consigliere 2014/11/05
    第1期解説もまだ読んでいないのですが・・・(汗
  • 栗原・志波姫の御駒堂遺跡 奈良期に関東からの移民 | 河北新報オンラインニュース

    栗原市志波姫南堀口の御駒堂遺跡を発掘調査している県教委は21日、奈良時代前半(8世紀前半)に栗原地域に関東からの移民が住んだ痕跡が確認されたと発表した。竪穴住居のかまどの構造や素焼き土器の特徴が関東のものと共通するため、移民の存在を示す平安時代の史書「続日紀」の記述を裏付けると判断した。23日午前10時半から、調査現場が一般公開される。  奈良時代前半の竪穴住居跡は3棟見つかった。かまどの煙を屋外に排出する設備が短く、軒先に煙突がある関東のものの特徴がみられた。出土した素焼き土器は、土着の蝦夷(えみし)が使う厚手で白や灰色のものと違い、薄手で赤褐色をした関東系の特徴を示していた。  関東からの移民の住居跡は、従来の調査成果と合わせ、御駒堂遺跡全体56ヘクタール全体で28棟となった。このほか縄文時代の落とし穴、江戸時代の建物跡や墓跡を発見した。  続日紀は715年、関東全域から計1000

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