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偶有性に関するcozy009のブックマーク (2)

  • 茂木健一郎氏の「偶有性」について(1)語源 - ピッパラのつぶやき

    先日完結した双風舎企画「斎藤環と茂木健一郎の往復書簡『脳は心を記述できるのか』」[1]では、茂木氏の多用する「偶有性」が議論の対象の一つであった。これについて結局最後まで二人の意見がかみ合わなかった。原因は、茂木氏の「偶有性」の使用法が特異的なことによると思われる。これについて検討してみる。 茂木氏が「偶有性」や「偶有的」という言葉を多用し始めたのは2005年からで、『「脳」整理法』(2005/9/10発行)では両方を合計すると470回位も!使われている。このと斎藤・茂木往復書簡での「偶有性」の説明は基的に同じなので、ここでは両者を用いて検討する。 なお、茂木氏の「偶有性」使用の問題点は既に、liber studiorum氏のブログでも指摘されており(2008年4月)[2]、以下の私の記述と一部重なる。 結論:(A)茂木氏は、偶有性と偶然性を区別しているが、これらを区別する根拠は一般的

    茂木健一郎氏の「偶有性」について(1)語源 - ピッパラのつぶやき
  • Genxx.blog* : 偶有性――他者を想う可能性

    昨日の記事で扱った「偶有性」という概念が、小さな頃から考えてきたことを端的にあらわしていると気づいたので、とりとめもなく、メモしておこうと思った。 偶有性(contingency)とは、「AではなくBでもありえた/BでもありえたのにAである」こと、つまり「可能だが必然でもない/必然ではないが不可能でもない」ことだった。なにも難しい言葉を使わなくても、たとえば「運が悪い」ってのも偶有性の問題だ。論理的必然性、および明確な因果関係は無い、けれどもなぜか自分が被害者に選ばれてしまった、ということ。たとえば、運転士の速度超過など、脱線事故に必然性があったとしても、わたしの恋人が犠牲者になる必然性は存在しなかった。わたしの恋人が命を落としたのは、偶有性の問題だ。 昨日書いたことを繰り返すが、偶有性は必然性(因果関係)ではないので、それに責任を求めることは出来ない。「たまたまわたしの恋人が地震で亡くな

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