加えて、他のアジア各国と同様にフィリピンでも日本軍による性加害が起きた。フィリピン各地に作られた「慰安所」には、朝鮮人や中国人、そして現地のフィリピン人などが「慰安婦」として連れてこられた。「慰安所」以外の場所でも、日本兵による強かんが横行していた。 中でも規模が大きく、組織的に行われたと考えられているのが「ベイビューホテル事件」である。 数百人の女性をホテルに監禁 1945年2月9日から12日または13日までの4、5日間、同ホテルや近くのアパートで、周辺に住む女性数百人が監禁され、日本兵から繰り返し強かんされた。アメリカ軍の捜査によると、中には10代前半の子どもも含まれる。フィリピン人のほか、イタリア人、ロシア人、アメリカ人、イギリス人なども被害を受けたという。 マニラ市街戦開始(1945年2月3日)から6日後の9日午後、エルミタ地区で火災が発生。住民の多くが、日本軍によって、ベイビュー
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