東京電力福島第1原発事故で、2号機原子炉内に溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しが、大幅な計画見直しを迫られつつある。取り出し試験用に開発したロボットアームが、現場で使えない恐れが出てきた。事故収束で最難関とされる作業は、準備段階で「想定外」の壁にぶつかった。(渡辺聖子)
(科学ジャーナリスト:添田 孝史) 地震のリスクを科学的に評価する(リスク評価)。その評価をもとに、被害を小さくするためハードやソフトの対策を進める(リスク管理)。それが地震防災の進め方だ。 しかし311前の東北地方の津波リスク評価は、電力会社を中心とする「原子力ムラ」の圧力でねじ曲げられており、そのため津波で多くの人が亡くなり、原発事故も引き起こした可能性がある。そんな疑惑を、元日本地震学会会長の島崎邦彦・東大名誉教授が、3月末に発売された著書『3.11 大津波の対策を邪魔した男たち』(青志社)で告発した。この告発は、一般の人だけでなく、地震学者など専門家の間でも話題になっている。 「おかしなことが起こっている」だが背景はわからなかった 島崎さんは、2002年以降、津波のリスク評価が水面下で巧妙にねじ曲げられていった経緯を、公開されていなかった議事録や電子メールなどを引用して、研究者や官
今年4月1日付で、将棋界に異色の新人が誕生する。小山怜央、29歳。棋士養成機関である奨励会を経ずにプロデビューする、戦後初の棋士だ。 地元は岩手県、東日本大震災では津波被害に遭い、家を失った。それでも好きな将棋への思いを絶やすことはなかった。プロまでの道のりは決して平坦ではなく、一度は夢破れサラリーマンの道を選ぶ。しかし、27歳で会社を辞めて、崖っぷちからもう一度夢に挑んだ。そんな彼の物語が、大きく動き始める。(文中、敬称略) 避難所の中で将棋を指していた兄弟 12年前、岩手県釜石市――。 避難先の体育館に入っていくと、むせるようなにおいが鼻をついた。街全体を覆う海水とヘドロの入り混じった臭気が、建物の中にも満ちていた。空気は砂埃を含んでざらつき、マスクなしでは息をするのもつらい。そこに300人以上の人たちが着のみ着のままで身を寄せ合っていた。あの日、東日本大震災で釜石は大きな被害を受けた
https://twitter.com/SantaUonome/status/1502164211891605504 以下、いくつかアップロードされているマンガを引用します。 これは3.11時の自衛隊による被災地支援時の食糧支援配布で「赤飯の缶詰」が出たことによってそれが「不謹慎」であると批判されて「大問題」になったという話であり、それ以降は上層部からの命令によって赤飯が食糧支援配布に出なくなったというものです。この手の話題は自衛隊による支援時にツイッターなどで「読む」ことはあってもそれを「見た」という人物は特になく、風聞が占めていて実態そのものは胡乱と言わざるを得ません。 自衛隊(陸・空)が戦闘食糧で赤飯を止めた理由 まず公的なアナウンスにと受け取れる自衛隊(陸・空)が災害時の戦闘糧食で赤飯を止めた理由ですが、2011年8月11日の毎日新聞のWEB記事にその理由が語られています。 自衛隊
福島第一原子力発電所の事故を描いた映画『Fukushima 50』(若松節朗監督)が3月6日公開される。 これは、一種の「戦争映画」だ。福島第一原発を戦場として描き、吉田所長以下の職員たちを兵士として英雄的に描く。 娯楽映画として、よくできている。 原発のプラント内の再現度が高い。といって、私自身が実際の原発を見ているわけではないので、どこまで再現されているかは確証できないが、リアルに感じた。 凄まじい事故だということ、原発内部の構造がよく分かる。そして、現場の職員たちの危機感もよく伝わってきた。よくぞ、日本は無事だったと思う。 しかし、大きな問題のある映画だ。 混乱の元凶は「総理」だったのか? 娯楽映画なので、作劇上、主人公であるヒーローに対し、悪役が必要なのは分かる。 この映画が扱う戦争では、倒すべき相手は「どこかの国」でもテロ組織でもなく、暴走している原発だ。 そして原発そのものは敵
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10年前の3月11日、私は民間任用(2年満期)の内閣審議官として、メディアが立ち入れぬ首相官邸の最奥部で、事態の渦中に居合わせていた。 そんな人間の1人として、テレビ各局の「3・11」10年関連特番を見ていて、特に心揺さぶられた番組が2つあった。1つは、日テレの金曜ロードSHOW!「Fukushima50」(去年の劇場公開とは違った意味で) 。 もう1つが、NHKのETV特集「原発事故 ”最悪のシナリオ”/その時誰が命をかけるのか」。 ーーーそれらについてちょっと書こうかな、と思っていたら、奇しくも同じ2番組を挙げて先にコメントしている人が、意外な所にいた。 フランス「リスク・危機研」研究員の賞賛と憤慨フランスの「リスク・危機研究センター」(Centre de recherche sur les Risques et les Crises)の一員として、3・11以降たびたび来日し、福島原
リチャード・ロイド・パリーの新刊である。そう聞いただけでピンときた人はよほどのノンフィクション好きか、あるいはHONZファンであろうか。英《ザ・タイムズ》誌アジア編集長、東京支局長でもある著者は前作『黒い迷宮』で2000年におきた英国人女性ルーシー・ブラックマンさん殺害事件を追い、日本の歓楽街の闇の一面を見事に描き出した。HONZでも話題騒然となり内藤編集長が著者インタビューを敢行している。 そんな彼が今回題材に選んだのが東日本大震災。それも釜谷地区という小さな集落でおきていた、ある「悲劇」に焦点を当てながら、日本にとって戦後最大の危機であった、あの災害を丹念に取材し描き出していく。 東日本大震災では様々な出来事が極めて複層的に起きているため、震災直後から現場に急行し、現地に留まりながら取材を重ねている著者は、常に焦点が定まらないような感覚に襲われていたという。そんなとき、宮城県石巻市にあ
官邸や東電本店の要請に従わず、海水注水を強行した吉田昌郎福島第一原発所長。日本中が喝采を送った「海水注入騒動」だが、事故から5年半経って原子炉にほとんど水が入っていなかったことが判明した。 『福島第一原発 1号機冷却 失敗の本質』は、6年間にわたる1000人以上の関係者取材と約428時間に及ぶ東電テレビ会議のAI解析によって浮かび上がった数々の「1号機冷却失敗」の謎に迫った調査報道の力作だ。本書から一足先に「届かなかった海水注水」をめぐる衝撃の事実を特別公開する。 ほとんど注水はされてなかった 2016年9月7日。福岡県久留米市内のホテルはどこも珍しく満室だった。 春と秋、年に2回行われる日本原子力学会の大会に参加するため、全国から原子力関係者が、久留米市に集まっていた。 学会では、原子力安全や放射性廃棄物処理、高速炉などの次世代炉開発、核燃料など様々な分野の専門家が研究成果を発表する。そ
「あの大きな揺れのさなか、中学生が訓練通りリヤカーでお年寄りを助けに行く姿を想像し、行くな、と思った」(シンサイミライ学校 片田敏孝教授の言葉) Posted on 2013年8月12日. Filed under: ボランティア | タグ: 防災, 東日本大震災 | 東日本大震災に関するテレビ番組はよく観るけど、録画リストを消化中に強く惹きこまれたのがこの番組だった。 「釜石の奇跡 片田敏孝先生のいのちを守る特別授業 第三回 私たちがふるさとを守る」:NHK シンサイミライ学校 岩手県釜石市で津波防災教育に約10年に渡って取り組み、2011年3月11日に起こった東日本大震災では小中学生の生存率が99%という“釜石の奇跡”を生んだ片田敏孝教授。 番組は、彼が和歌山県田辺市のある中学校を訪れ、座学や地域での実践、釜石への訪問などを通して津波防災を生徒たちに体得させていくという構成だ。震災当時に
前回まで3回の福山哲郎官房副長官(3.11当時)とのインタビューを掲載したところで、今回は一度立ち止まってみる。 これまで私は、3.11直後にフクシマの被曝被災地に取材に入ってから1年半の間ずっと「なぜこんなにたくさんの人々が被曝したのか」つまり「なぜ住民避難に失敗したのか」という疑問への答えを出そうと取材を続けてきた。 巨大地震と津波は防ぎようがない「天災」である。が、調べれば調べるほど「その後、住民が被爆しないよう避難させることは可能だったのではないか」と思うようになった。つまり福島第一原発が全電源を喪失したあと、住民避難に失敗したことは「人災」ではないのかと考えるようになったのだ。 地元の市町村を回り、福島県に取材し、やっと当時の首相官邸中枢にいた福山官房副長官にたどり着いた。時同じくして、国会、政府、民間などの事故調査委員会の報告が出揃った。それを読んでも、なおまだ「分からないこと
震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ
宮城県発注の復旧事業で談合か 測量業者が「星取表」 受注調整の話し合いの場で配られたとされる表。「星取表」と呼ばれ、指名業者が一覧できる 宮城県が2月に発注した東日本大震災の復旧事業の指名競争入札をめぐり、県北部の一部の測量会社が受注調整をしていた疑いがあることが24日、同業者の証言や内部資料で分かった。指名業者が一覧できる「星取表」と呼ばれる資料を作り、各社で事業を割り振っていたとされる。調整に加わっていない地元業者は「東日本大震災からの復旧で、不公正に利益を得るような行為は許されない」と訴えている。 宮城県内の業界関係者によると、測量事業は震災復旧事業で急増しており、受注額が震災前の5倍以上に増えている業者もある。 受注調整があったとされるのは、震災で地盤が沈下したり、地形が変わったりした沿岸部の河川と海岸の正確な位置や海抜を測る事業。入札は2月下旬にあり、県内の測量会社20社が参
電力会社求め巨大津波警戒を修正 地震調査報告書で文科省 2012年2月25日 21:26 カテゴリー:科学・環境 文科省が作成中だった、巨大津波に関する報告書の概要と情報交換会についての内部文書のコピー 東日本大震災の8日前、宮城―福島沖での巨大津波の危険を指摘する報告書を作成中だった政府の地震調査委員会事務局(文部科学省)が、東京電力など原発を持つ3社と非公式会合を開催、電力会社が巨大津波や地震への警戒を促す表現を変えるよう求め、事務局が「工夫する」と修正を受け入れていたことが、25日までの情報公開請求などで分かった。 報告書の修正案は昨年3月11日の震災の影響で公表されていない。調査委の委員を務める研究者らも知らされておらず「信じられない」などの声が出ている。電力会社との「擦り合わせ」とも取られかねず、文科省の姿勢が問われそうだ。
2011/5/1615:57 東京電力福島第一原発の何が問題だったのか 検証その2 橋本努 原発は、大事故が起きるまでは「99%、安全」である。しかし大事故が起きてしまえば「99%、危険」になってしまう。これが原発という巨大装置の実像ではないだろうか。 わたしたちは、3.11大震災による原発事故を受けて、原発がどれほど恐ろしい装置であるのかを思い知らされてきた。だが原発は、大震災が起きる前であっても、やはり「危険」であったのではないか。根拠のない「安全神話」のもとで、危険の警鐘が耳に入らなかっただけではないか。 ◇1978年に臨界事故◇ 最初に、もっとも衝撃的な記事から紹介したい。 東京電力の福島第一原発3号機は、1978年11月に、臨界事故を起こしていたという。その当時、定期検査中に制御棒5本が脱落して、核分裂反応が連鎖的につづく臨界状態となった。そして約7時間半も、制御不能状態に陥って
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