沖縄では22日、焼失した首里城再建の課題を議論する「首里城再興に関する公開討論会」(首里城再興研究会主催)が開かれ、熱心な議論が行われました(写真右、23日付沖縄タイムスより)。 大きなテーマの1つは、正殿前の大龍柱の向きです(10月24日のブログ参照)。公開討論会では後田多敦神奈川大准教授が先に発表した「正面向き」を示す1887年のフランス人による写真が注目を集めました。大龍柱の向きは日本の琉球支配・皇民化政策とも無関係ではなく、今後の研究・議論の進展が注目されます。 さらに、私たち「本土」の日本人がけっして見過ごすことができない資料があることが分かりました。それは、沖縄戦(1945年4~6月)における首里城の焼失(写真左)と日本軍(第32軍・牛島満司令官)の関係を示す重要な証言です。 沖縄タイムスは10月下旬からの連載「首里城再建を考える」で、県内識者の論評を掲載しました。その中で、辺
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