引退後は1975年にフランスで種牡馬となり、1976年からアイルランドで供用、1981年12月に日本へ輸出された[1]。日本国外に残した産駒からはケイティーズ(ヒシアマゾンの母)を含む3頭のG1勝ち馬を輩出した。日本では同期のライバルであったノーザンテーストには水をあけられたものの、ダイユウサクやトウショウマリオなど個性的な産駒を輩出し、まずまずの成功を収めた。 1992年7月16日に死亡[2]。21歳没。父系は国内では残っていないが、ケイティーズは繁殖として優秀な成績を収め、その牝系からアドマイヤムーン、エフフォーリア、スリープレスナイトといったGⅠホースが輩出された。