タグ

ブックマーク / newsletter.nichibun.ac.jp (22)

  • 「思いがけないつながり」を可視化する研究者を目指して | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    この夏に特任助教(人文知コミュニケーター)として着任いたしました。研究対象は桐野夏生の文学作品です。1993年にミステリー作家としてデビューした彼女の作品は、2000年代にかけて特定のジャンルに捉われないものに変化していきました。日の1990年代、2000年代とは「格差社会」の幕開けとなった時代でもあります。私は桐野作品における犯罪や女性、労働の描写の変化と、日社会の構造変化の連動に興味を持って研究を続けています。 桐野作品を研究対象に選んだのは大学院生の頃です。語学が心底苦手な私は、当時、日語で日国内にだけ目を向けて研究を進めようとしていました。しかし、桐野研究を進めるうちに彼女の作品に興味のある外国人研究者が沢山いることが分かり、慌てて英語レッスンなどに通い始めることになりました。そのレッスンで複数のクラスメイトに同じ質問をされました。「日文学の研究をしている人が、なんで英語

    「思いがけないつながり」を可視化する研究者を目指して | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
    egamiday2009
    egamiday2009 2023/12/21
    “、「一見、関係なさそう」な世界と日本文化研究の繋がりを可視化し、拡げていくのが私の仕事”
  • サイデンステッカーに導かれて | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    この春、研究部准教授に着任いたしました。日近現代文学の英訳・編集・出版過程や受容・伝播について、特に第二次世界大戦後に英語圏で紹介された川端康成・三島由紀夫・谷崎潤一郎などの小説の場合に焦点をあてて研究をしています。 私が初めて日文研のことを知ったのは、川端の翻訳者として知られるエドワード・G・サイデンステッカーの資料収集をしていた時のことでした。イギリスの大学の修士課程で日文学を学んでいた頃に「ニチブンケン」を耳にした朧げな記憶はあるものの、その存在を認識したのは、修士課程を終えた後にリサーチ・コンサルタント会社で働いていた時のことです。海外ブランドのローカライゼーションにかかわる中、再びアカデミアに戻り、言語・文化の「あいだ」の様相に焦点をあてた研究をしたいと志すようになりました。その関心のきっかけとなったサイデンステッカーについて調べる中で、彼が日文研で講演した時の記録を見つけた

  • 「周縁」と「底辺」からの眼差し―大衆文化研究プロジェクトに携わって学んだこと | 研究 | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    日文研が2016年から2021年まで行ってきた大型研究プロジェクト「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日像の創出」が終了した。その成果として「大衆文化研究叢書」シリーズ(5巻)が刊行され、目下韓国語や中国語への翻訳が進められているように、国内のみならず、海外からも大変高い評価を受けている。 公的にはこれで当プロジェクトは一つのピリオドを打ったことになるが、6年間もこの大衆文化研究に身を投じた私自身の中ではその取り組みはけっして終わっておらず、むしろ新たなスタートを迎えた気持ちの方が日増しに強くなってきている。何故ならば、この間、数多くの「大衆」的文化資源と出会ったことにより、まさに「周縁」と「底辺」から歴史を見直す眼差しを獲得し、遅ればせながらも自分なりのパラダイムシフトをひそかに始めようとしているからである。 日中文化交渉を専門とする私にとって、日人の中国観・中国認識はつねに重

    egamiday2009
    egamiday2009 2023/07/04
    “大衆文化研究プロジェクトで蒐集した数々の中国関連の従軍記や旅行記、宣伝用パンフレット、写真集、絵葉書などに接したことで、これらの中にこそ、より広範かつ甚大な影響力を持つ中国認識や中国想像が”
  • 江戸知識人のスクラップブックと日中貿易研究 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    新型コロナウイルス感染症パンデミックの3年目、2022年7月に日文研に着任しました。予定より2年遅れでしたが、憧れの京都で長期滞在できることが何よりも嬉しいです。留学生時代は九州の福岡で過ごし、京都に数回訪れたことがありましたが、いずれも短期間の滞在だったため、京都の日常に溶け込んで暮らしたことはありませんでした。日文研は、市の中心から離れ、豊かな自然に囲まれた研究機関です。研究設備が整っている静かな環境で勉強しながら、窓から四季折々の美しい景色が見られるのが魅力です。また、京都周辺の名所旧跡や美術館・博物館を家族と訪れ、自然や歴史文化への理解を深めながら精神的な豊かさを得ることができ、この上ない幸せを感じています。 私の研究分野は近世の長崎貿易史と東アジア海域史で、日文研での研究テーマは長崎貿易における文化伝播の媒体、とりわけ商品・商人と通事を中心としています。目下、日各地に所蔵されて

  • ウクライナ侵攻から考えること | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    日文研での着任前に、勤務先のカリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)で「脱植民地化の世界史」を教えていた。この授業は、アルジェリア、ベトナム、マルティニーク、キューバ、インド、中国における帝国主義批判や脱植民地化闘争を検証しながら、近代世界において「主権」、「自己決定権」、「民族主義」、「自由」、「平等」、「人種」といった概念が持つ意味とその歴史的な役割を学び、議論することを目的とする。授業の内容がウクライナ侵攻と重なり、白熱した議論を生むことになった。 あるウクライナ系の学生は、フランツ・ファノンやホー・チ・ミンの民族独立闘争に共鳴しつつ、自国の自由と独立を守るために「民族主義」は必要なイデオロギーであり、決して否定されるべきものではないと主張する一方、ロシア系の学生は、ロシア侵攻を批判しつつもロシアにも「民族自決」の権利はあり、同じスラブ系の人々は対立すべきでなく団結すべきだと言

    egamiday2009
    egamiday2009 2023/02/19
    「UCLAの学生たちが繰り広げた議論は、近代世界を生み出した暴力、とくにその責任主体である「西側」がもたらした傷痕と歪みが何一つ消え去っていないことを物語っている」
  • 京都の端から、こんにちは 第26回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    最近、「美貌の歴史と美術の歴史」という論文を書きました。美形とされる顔の歴史的な変化は、はたして美術作品から、たどれるのか。そこをつきつめた文章です。 いくつかの古い美術品を、その資料につかいました。このごろは、そういう作品の利用をゆるしてもらうのが、むずかしくなっています。所蔵機関や撮影者の許諾をもらうことが、きびしく義務づけられるようになりました。でも、パソコンをもたない私は、その許可申請が思うにまかせません。 けっきょく、私は鉛筆でそれらをうつしとりました。論文には、私の手書きによる鉛筆画を掲載しています。これならば、許諾はいらないだろうと考えたしだいです。 ですが、自分の画力を見せびらかしたいという邪心もありました。若いころには、デッサンの勉強をしたことがあります。どうだ、うまいだろうと、見得をきりたかったんですね。 ざんねんながら、その後、人文学徒の途をこころざし、デッサンはやめ

    egamiday2009
    egamiday2009 2022/12/15
    “けっきょく、私は鉛筆でそれらをうつしとりました。論文には、私の手書きによる鉛筆画を掲載しています。これならば、許諾はいらないだろうと考えたしだいです”
  • 西洋音楽にうつる「日本」 | 研究 | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    19世紀初頭から、西洋各国では日を題材にしたピアノや歌による小品が、一枚刷りの大衆音楽楽譜(シートミュージックsheet music)の形で数多く出版された。これは、ドビュッシー作曲の交響詩《海》やストラヴィンスキー作曲《3つの日抒情詩》など、有名なジャポニストによる作品に先駆けてのことである。ラジオやレコードが普及する以前、1920年初頭までの最も有力な音楽配信メディアとして機能したシートミュージックには、一体どのような「日」がうつしだされているのか――その謎解きに取りくむべく、筆者は2017年より国内外での調査に乗り出した。調査に出向いた先々で、あらたな「日」の姿、そして魅力を知ることになる。 イタリア調査で出会った楽譜(撮影:光平有希、2019年) 「日」を冠したシートミュージックは、1810~40年代にギルドン作曲〈日の調べ〉やバイエル作曲〈日の舟歌〉など、ピアノ教則

    西洋音楽にうつる「日本」 | 研究 | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
    egamiday2009
    egamiday2009 2022/12/07
    “ 「日本」を冠したシートミュージックは、1810~40年代にギルドン作曲〈日本の調べ〉やバイエル作曲〈日本の舟歌〉など、ピアノ教則本の中で開花した。”
  • 京都の端から、こんにちは 第23回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    鴨川と木屋町の間をとおる道は、先斗町(ぽんとちょう)通とよばれます。通りの両側は、先斗町の名でしたしまれてきました。しかし、この地名を構成する漢字の「先」は、ぜったいに「ぽん」と読めません。いったい、どうしてこういう名前ができたのでしょうか。 針や剣の先は、ポルトガル語だとpontaです。岬もpontaになります。そして、先斗町ぞいの鴨川では、16世紀ごろ岬状に河岸がとびだしていました。これを、当時日へきていたポルトガル人が、pontaとよんでいた可能性はあります。その呼称に、日側が「先斗」の字をあてたのかもしれません。pontaは「先」だと、意味をくみとって。まあ、「斗」は音をととのえるためだけの漢字だったんでしょうけど。 この地名にかかわる由来説も、証明はされていません。ただ、検討すべき有力説として、知られてはいます。「ありがとう」の「オブリガード」起源説は、なりたたない。若いころ

  • 悠然と窓外の美景を眺めながらの研究生活 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    外国人研究員として日文研に赴任させていただいたのは2021年の夏の終わりでした。それからまだそんなに日が経っていない気もいたしますが、先日、稿執筆のご依頼を受け、日文研での研究生活が早くも終盤に差しかかっていて、季節もまた夏を迎えようとしていることに気づかされました。 1996年、国際交流基金のフェローシップで来日したとき、受け入れの大学は横浜にありましたが、知人の紹介で鈴木貞美先生代表の『太陽』雑誌に関する共同研究会に数回参加させていただいたことがあり、その時から日文研のすばらしい研究環境と周囲の自然環境に魅了され、機会があれば是非一度そこでゆっくり研究したいとの夢を持っていました。それ以来、都合でずっと申請する機会がなく、実現するのに四半世紀の歳月を要しました。 この一年間、研究の方は一応「漢学者山梅崖と来日中国人の知的交流」をテーマに、近代の日中文化関係に関する著書の原稿執筆をし

  • 京都の端から、こんにちは 第20回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    国際日文化研究センターの図書館は、前室が3層分の吹き抜けになっています。円形平面で、たいそう高いところに天井があるわけです。なかなか、迫力のある空間ですね。 イギリスの大英図書館を手にしてほしい。日文研側は、設計をてがける建築家の内井昭蔵さんに、そうたのんだそうです。なるほど、形じたいは、似ていなくもないですね。 ですが、そのテイストは、アスプルンドが設計したストックホルム市立図書館に近い。若いころに建築を勉強した私は、そう感じます。見学にきた建築家たちも、たいてい同じ感想をもらしていました。内井さんからも、直接聞いたことがあります。ねらったのは、アスプルンド風だ、と。 日文研からの注文は、大英図書館だったかもしれません。表面的には承諾しただろう内井さんですが、これをアスプルンド寄りにかえたんでしょうね。建築家は、時にそういうことをします。 日文研の図書館は、大英図書館にあやかっている

    egamiday2009
    egamiday2009 2022/06/02
    “そのテイストは、アスプルンドが設計したストックホルム市立図書館”
  • 忘れられない日文研 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    1、美しい場所 国際日文化研究センター(日文研)は、京都南西部の山腹にあり、山々に囲まれ、美しい嵐山とつながっています。山の中の木々は春夏秋冬を通して、常に若さと活力をさまざまな色で見せてくれます。特に夏の新緑と秋の紅葉の時期が素晴らしいです。研究の合間に散歩をしていると、いつもその美しさに酔いしれます。また、蝉の声やいろいろな鳥の鳴き声も聞こえてきます。 2、広々とした明るい研究室 ここ日文研で勉強できるのは、当に世界で最高の時間です。独立した研究室は広々として明るく、訪問者もまばらで、静かに自分の研究に取り組むことができます。そんな環境に毎日浸り、幸せで有意義な日々を過ごしていると感じます。 3、便利なライブラリー また、日文研の図書館やサービスについてもお話ししたいと思います。日文研の図書館には豊富なのコレクションがあり、蔵書数は信じられないほどです。謙虚になって一生懸命働くし

    egamiday2009
    egamiday2009 2022/04/30
    「蔵書数は信じられないほどです。謙虚になって一生懸命働くしかない」
  • 京都の端から、こんにちは 第13回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    国際日文化研究センターは、1987年にできました。日研究の国際化は、当時からの目標です。図書収集でも、外国語で書かれた日関連の文献に力点をおいてきました。 今でもおぼえています。われわれがそういう資料をあつめだすと、それらの値段が上がったんですよ。少々高くても、日文研は買いとるはずだ。そんな想いが、古書店業界にはできたんでしょうね。現金なものだなと、思いましたよ。 でも、おかげで、文献あつめはらくになりました。価格があがると、古書店側も全力でさがしだすんですよ。札束の力ですね。おかげで、日文研の図書収集も、充実するようになりました。外国語による日関係文献の所蔵点数では、ここが日一になっていると思います。それも、資主義のたまものですね。私に資主義の力強さをかみしめさせたのは、この集書活動だったと思います。 まあ、今の日文研に当時の資金力はないのですけれどもね。

    京都の端から、こんにちは 第13回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
  • 小袖をめぐる絵とことば―「文化・情報の結節点としての図像」 | 研究 | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    江戸時代、人々はどのような小袖を着ていたのだろうか。伝存する小袖や浮世絵をながめれば、大柄で華やかな寛文小袖、贅を尽くした元禄小袖、一見地味に見えながら細やかな職人仕事が施された江戸小紋など、様々な時代の様相を知ることができる。また、小袖の注文用として、あるいは鑑賞用として作られた雛形を読めば、当時好まれた意匠、色、技法を事細かに追うことが可能である。 日文研の「文化・情報の結節点としての図像」ユニット(研究代表者:山田奨治/広領域連携型基幹研究プロジェクト「異分野融合による「総合書物学」の構築」:主導機関国文学研究資料館)では、絵とことばを備えた書物が文化の交流・継承に果たした役割について、絵入百科事典研究や「近世期絵入百科事典データベース」の構築を進めながら検証を行っている。 その一つとして、小袖にまつわる絵とことばが記録された小袖雛形に着目し、江戸時代中期に刊行された『正徳ひな形

    小袖をめぐる絵とことば―「文化・情報の結節点としての図像」 | 研究 | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
  • 京都の端から、こんにちは 第11回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    国際日文化研究センターは、毎年十数名の外国人研究員を海外からうけいれています。滞在期間は、最大で1年間。そのあいだは、勤務先の組織運営にかかわるわずらわしい仕事を、忘れてもらう。思うぞんぶん、御自身の研究に没頭してほしいという制度です。 ただ、2020年からは、世界的な感染症のせいで、研究員をまねきづらくなりました。いや、いくらかは来ていただいています。しかし、そんなかたがたも、やっかいな事態に直面されているようです。 感染症へのおびえから、私たちはパソコンによるリモート・ワークをとりいれました。事情は世界中で、そう変わらないと思います。大学の講義や会議でも、オンラインのそれが一般化されました。つまり、外国人研究員のみなさんを、国の勤務先は、たやすくよびだせる。運営業務などでも、はたらかせることができるようになったのです。 便利な機械ですが、そこはこまったものですね。日文研は、遠からず

    京都の端から、こんにちは 第11回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
    egamiday2009
    egamiday2009 2021/08/30
    「外国人研究員のみなさんを、本国の勤務先は、たやすくよびだせる。運営業務などでも、はたらかせることができるようになったのです。便利な機械ですが、そこはこまったものですね。」
  • 日文研図書館の優しいルール | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    国際日文化研究センター図書館の利用規定はユニークです。センター内の研究者の場合、の貸出は一度に100冊まで、返却の期限も6カ月以内と比較的緩やかです。また、時間外利用が可能な日には、カードキーで出入りすることができます。 外国人研究員の立場からすると、60万冊もの蔵書を有している図書館をあたかも個人図書室のように利用している気分になります。30年近い研究生活の中で国内外多くの図書館を利用してきましたが、これまでこんな規定に接したことはありません。ですから、担当者から図書館の利用方法を紹介された時には、実に驚きました。と同時に、心底から喜びが湧き上がりました。 そんな利用規定によるためか、ここでは他の図書館では見られない壮観な光景をよく目にします。貸出と返却を山のように積み上げて運ぶ台車が、何台も行ったり来たりするのです。 私はまだ台車を使ったことはありません。滞在している日文研ハウ

  • 京都の端から、こんにちは 第5回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    いわゆる地球温暖化のせいでしょうか。このごろは、日でも大雨の被害がふえているように思います。山の土砂くずれで、人家が流された。そんな話を、よく聞かされるようになりました。 さて、国際日文化研究センターは、山のすぐ南側にたっています。山際の施設です。山くずれは、やはりこわいですね。なんとか、したいところです。どうしようもありませんが。 日文研のさらに南側は、住宅街になっています。先日、住民のひとりがおしえてくれました。いざという時は、日文研が自分たちの街をまもってくれる。あそこが土砂くずれをくいとめてくれる。そんな期待がよせられていることを、知らされました。 われわれの存在意義は、防波堤であることなのか。と、そうなげくのは、やめておきましょう。地域住民の安心感をささえている。そのことも、またひとつの社会貢献となりうるのではないでしょうか。

    京都の端から、こんにちは 第5回 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
    egamiday2009
    egamiday2009 2021/02/26
    “われわれの存在意義は、防波堤である”
  • Jidaigeki, as a Culture of Japan and a Culture of Kyoto: “Textures” created by a Field Research | Research | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    Jidaigeki, as a Culture of Japan and a Culture of Kyoto: “Textures” created by a Field Research Jidaigeki historical dramas are part of Kyoto’s culture industry; indeed, there was a time when the city was the movie capital of the country. In 1897, industrialist Inabata Katsutarō showed movies for the first time in Japan in Kiyamachi, Kyoto. Then, in 1908, at Shin’nyodō temple in Kyoto’s Sakyō ward

    Jidaigeki, as a Culture of Japan and a Culture of Kyoto: “Textures” created by a Field Research | Research | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
  • 2019年度日文研海外シンポジウム「ポストコロニアル研究の遺産――翻訳不能なものを翻訳する」 | 研究 | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    2020年2月13-15日の3日間にわたって、ニューヨークのコーネル・ファカルティクラブで、シンポジウム「ポストコロニアル研究の遺産――翻訳不能なものを翻訳する」を行った。この企画はタラル・アサド名誉教授(ニューヨーク市立大学大学院)の結婚60周年と日文研の創立30周年を祝う企画として、アサド教授の新作『世俗の翻訳―国民国家、近代的自我、計算的合理性』に想を得て、翻訳論の観点からポストコロニアル研究を総括する企画として準備を進めてきた。 日文研・翰林大学校日学研究所・コーネル大学の共同出資のもと、実務運営を松木裕美助教ら日文研海外研究交流室が担当し、磯前とアサドに加えて、合衆国からガヤトリ・スピヴァク(コロンビア大学)、ヘント・デ・ブリース(NYU)、酒井直樹(コーネル大学)、平野克弥(UCLA)、ドイツからマリオン・エガート(ルール大学ボッフム)、韓国から徐禎完(翰林大学校)の各教授・

    2019年度日文研海外シンポジウム「ポストコロニアル研究の遺産――翻訳不能なものを翻訳する」 | 研究 | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
  • 学問の自由と研究の総括作業としての日文研での一年 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    日文研で過ごした一年はもっぱら執筆に専念した。特に単著では、日では忘れ去られたと言っても過言ではないニューギニア戦線の記憶が戦記もの、ドキュメンタリー、映画、紀行文、漫画などの幅広い媒体において、どう想像・創造され、また再想像・再創造されてきたのかをたどった。 兵士の戦記物においては戦争を地獄に例える比喩的表現や、「飢餓地獄」から逃れるための人肉への抵抗と正当化の過程を追った。軍医の戦記では、戦場での負傷よりも、熱帯病などの疾病や糧、薬剤、医療器具の不足のなかで軍医自らの使命を問う様子をたどった。ドキュメンタリーについての章では画面の表と裏で製作者と出演者の歴史認識が想像・創造される過程と、視聴者の共感・共苦の感情が引き出される様を検証した。映画の章においては俳優加東大介の『南の島に雪が降る』など2作の映画の比較をした。漫画と紀行文における歴史記憶の再想像・再創造についてはすでに出版

    学問の自由と研究の総括作業としての日文研での一年 | 交流ひろば | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
    egamiday2009
    egamiday2009 2021/01/05
    “日文研での収穫をひとつ選ぶのは困難であるが、あえて挙げるとすれば、人文系分野の存続の危惧される現在に学問の自由を享受できたこと”
  • 【連載】京都の端から、こんにちは 第3回 | メッセージ | NICHIBUNKEN NEWSLETTER

    日文研は京都市の西郊、西のはずれにあります。山裾の研究所ですね。街は遠い。でも、勉強へうちこむには、うってつけの環境です。じっさい、建築もどこか修道院や寺をしのばせる構えに、なっています。 交通の便は、やや改善されました。できたころは、ほんとうにひどかったんですよ。立地をきめたのは、初代所長の梅原猛でした。その梅原さんに、まだ若かった私は、なじりながら、こうたずねたことがあります。 梅原先生、まさか、比叡山に学問所をもうけた最澄とはりあって、ここをえらんだんじゃあないでしょうね。 図星だったのかな。梅原さんは、真顔で言いかえされたんですよ。井上君、そのことを人前では言うな、って。9世紀初頭の最澄と20世紀末の御自身が、梅原さんの脳裏では東西の対になっていたようです。 えらい人は考えることがちがいますね。

    【連載】京都の端から、こんにちは 第3回 | メッセージ | NICHIBUNKEN NEWSLETTER
    egamiday2009
    egamiday2009 2020/12/24
    “井上君、そのことを人前では言うな”