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不連続的差異論の《メディア》について: 不連続的差異論とは何ぞや?
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不連続的差異論の《メディア》について: 不連続的差異論とは何ぞや?
新しい理論である不連続的差異論を深化検討しています。哲学的でわかりにくいと思いますが、私の本拠地... 新しい理論である不連続的差異論を深化検討しています。哲学的でわかりにくいと思いますが、私の本拠地のブログで不連続的差異論の説明にアクセスできます。 http://renshi.ameblo.jp/ http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913 ODA ウォッチャーズ氏の《メディア》に関する理論化によって、不連続的差異論の新たな地平が開けたと考えられる。即ち、《メディア》が、文理統一の領域となったのである。例えば、文科系の「心」を、《メディア》と考えればいいし、同時に、理科系の量子も《メディア》と考えればいいのである。つまり、《メディア》が一方では、「心」になり、他方、量子となるのである。「物質」とは《メディア》の現象なのである。また、ここで、スピノザの心身平行論が、《メディア》論であることが判明するのである。思惟・「心」も《メディア》であり、延長・「身