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佐渡広場 : 宮本常一と佐渡(その3)前浜 - livedoor Blog(ブログ)
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佐渡広場 : 宮本常一と佐渡(その3)前浜 - livedoor Blog(ブログ)
こんにちは!佐渡の本間です。 前回は佐渡の北側にある海岸線一帯の外海府がテーマでしたが、今回は佐渡... こんにちは!佐渡の本間です。 前回は佐渡の北側にある海岸線一帯の外海府がテーマでしたが、今回は佐渡の南側にある海岸線一帯の前浜をテーマとします。今から約35年〜40年前の前浜地域の産業の状況(その昔を含む)とわが国を代表する民族学者宮本常一が、その地で感銘を受けたことは何であったかに絞り込んで、取り上げました。 1.小木(おぎ) (1)繁栄 ①1601年頃、相川の金山が発見され、1604年大久保長安がその経営にあたることになって、にわかに活気を呈することになる。相川はわずかの間に人口10万の都市が出現したといわれる。佐渡でとれた金は小木から出雲崎へ送られ、そこから江戸へ陸送。(1月15日号「出雲崎と佐渡」ご参照) ②1671年に河村瑞軒によって日本海の西廻航路(出羽地方(山形県庄内)の米を本州西端を回って瀬戸内海を通り江戸へ)が開かれた。小木はそれらの船の寄港地になり、5軒の問屋がおかれた