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朝鮮通信使と徳川期の儒学など - heuristic ways
姜在彦『朝鮮通信使がみた日本』を読んで、私が個人的に感動したエピソードの一つは、伊藤仁斎(1627−17... 姜在彦『朝鮮通信使がみた日本』を読んで、私が個人的に感動したエピソードの一つは、伊藤仁斎(1627−1705)の『童子問』などの著作が早くも一八世紀の朝鮮に伝わり、読まれていたということだった。 伊藤仁斎の第二子で、伊藤東涯の異母弟に当たる伊藤梅宇(1683−1745)が、享保度(1719年)の通信使のとき、福山藩の儒官をしていて、瀬戸内航路の港町鞆ノ浦(とものうら)で書記・成汝弼と筆談した記録が残っているらしい。そのとき梅宇は、父(仁斎)が「平素言論したところを集めて一書となし、名を『童子問』とした。明日芳洲公(雨森芳洲)に託してお贈りしたい。幸いにして貴国に伝わることは、先人も願うところであろう」と成汝弼に伝えたという。 梅宇も「朝鮮の文人たちの著作をよく知っており、成俔〔ソン・ヒョン〕の『慵斎叢話』、徐居正〔ソ・コジョン〕の『東人詩話』、柳成龍〔ユ・ソンリョン〕『懲■録』*1などにつ
2011/10/02 リンク