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筑紫哲也氏は本当に賞賛すべきジャーナリストだったのか|週刊・上杉隆|ダイヤモンド・オンライン
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筑紫哲也氏は本当に賞賛すべきジャーナリストだったのか|週刊・上杉隆|ダイヤモンド・オンライン
1989年に始まった「筑紫哲也のNEWS23」は、本格的なニュース番組として、当時の放送界の注目を集め... 1989年に始まった「筑紫哲也のNEWS23」は、本格的なニュース番組として、当時の放送界の注目を集めていた。 すでに4年前には、久米宏氏の司会による「ニュースステーション」が始まっていたが、久米氏自身が「自分は司会者です」と明言していたように、正しい意味でのニュースキャスターはまだ日本には存在しなかった。 世界のジャーナリズムの常識から言えば、“キャスター”や“アンカーパーソン”といった言葉が示す通り、編集権を持ったジャーナリストのみが、番組の「錨」となることが認められている。そうしたキャスターがラインナップを決めることで、自身の主張を発信する、と視聴者には見られていた。それゆえ、キャスターには、相応の取材経験や編集経験が資格の前提条件として求められるのだ。 その言に従えば、のちに蟹瀬誠一氏や鳥越俊太郎氏が参戦するものの、当時は、筑紫氏が唯一の「ニュースキャスター」ともいえただろう