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『戦国の城:美濃松尾山城』中井均(歴史群像No.105)を読んで 「秀元様、なんか関ヶ原で合戦になったみたいですが」「は? なんで? 大垣は?」 | Drupal.cre.jp
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『戦国の城:美濃松尾山城』中井均(歴史群像No.105)を読んで 「秀元様、なんか関ヶ原で合戦になったみたいですが」「は? なんで? 大垣は?」 | Drupal.cre.jp
私の関ヶ原の合戦の一番古い記憶は、小学校のときに読んだ「まんが日本の歴史」でお坊さんのような大谷... 私の関ヶ原の合戦の一番古い記憶は、小学校のときに読んだ「まんが日本の歴史」でお坊さんのような大谷吉継が「ふ、小早川の裏切りは予定のうちよ」とうそぶいている場面である。 その裏切り者とされる小早川秀秋がいたのが、松尾山だ。関ヶ原を見下ろす山の上である。 その後、関ヶ原を題材にした小説や漫画や映画やゲームやらを通して、あれこれ妄想を膨らませてきた私の中で、空白というか、意味不明のまま保留の棚に置いておいたのが、実は小早川の裏切りではなく、毛利秀元の不可解な動きである。 もちろん、東軍と内通していた吉川広家が秀元を押さえたなどの理由はあるだろうが、それにしても、妙な位置で遊軍になっている。 いったいなんで、彼らはこんなところに取り残されたのだろう? その長年の疑問であるが、中井均さんの『戦国の城:美濃松尾山城』の記事を読みと図版をながめていて、なるほど、と得心した。 南宮山の陣城は、大垣