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亡くなった子供の写真 - 論駄な日々
なぜ事件や事故を報道しなければならないのか。そのようなことを考え始めると、じつに厄介だということ... なぜ事件や事故を報道しなければならないのか。そのようなことを考え始めると、じつに厄介だということに気づく。社会全体に大きな影響を及ぼすような、つまり、不特定多数の読者・視聴者にも影響が及ぶような重大事件や重大事故は、公共の福祉の観点から報道しなければならない。そうれは論を待たない。しかし、そうではなくて、ありふれた事件や事故、火事などは、取材の必要はあるとしても、報道の必要はあるのだろうか。掲載許諾をもらうこともなく死者の顔写真を掲載することの正当性は、どのようにして調達できるのか。 新聞記者になって最初に罪悪感を覚えたのは、火事で亡くなった子供の顔写真を接写したり借りたりしたときである。当時はまだ大らかな時代であった。亡くなった子供が通っていた幼稚園や小学校に行くと、遠足や記念撮影の写真を接写させてくれた。それが無理でも、クラスの名簿などはたいてい見せてもらえたので、同級生の子の家に行き
2010/08/10 リンク