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太平洋戦争の流れ
降伏への道(1945.2-1945.9) 本土空襲 1944(昭和19)年6月と8月に北九州の八幡地方にアメリカ軍のB-29... 降伏への道(1945.2-1945.9) 本土空襲 1944(昭和19)年6月と8月に北九州の八幡地方にアメリカ軍のB-29爆撃機による空襲がありました。日本本土への空襲は1942年4月のドーリットル空襲以来となります。 この時、B-29 は中国の奥地である四川省・成都より飛来しました。成都から飛び立つと北九州が飛来の限界ですが、1944年7月にサイパン島が陥落したことにより、東北より南の日本の大部分が空襲の圏内に収まることになりました。 1944年11月以降、サイパン島からB-29が次々に空襲にやってくるようになりました。1945(昭和20)年3月10日には東京が300機以上のB-29に襲われ、一夜にして10万人以上が亡くなりました(東京大空襲)。 その後も日本全国の都市への空襲は続き、空襲による死者は全国で約56万人と推定されています。日本本土を守る高射砲(こうしゃほう)や迎撃機(げい