エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
【三重】斎宮跡で飛鳥時代の宮殿一部か 伊勢神宮奉仕の「斎王」過ごす 明和町・歴史博物館 : 歴史的速報
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
【三重】斎宮跡で飛鳥時代の宮殿一部か 伊勢神宮奉仕の「斎王」過ごす 明和町・歴史博物館 : 歴史的速報
2019年03月09日12:30 【三重】斎宮跡で飛鳥時代の宮殿一部か 伊勢神宮奉仕の「斎王」過ごす 明和町・歴... 2019年03月09日12:30 【三重】斎宮跡で飛鳥時代の宮殿一部か 伊勢神宮奉仕の「斎王」過ごす 明和町・歴史博物館 カテゴリ考古学 waruneko00326 Comment(7) 1: 次郎丸 ★ 2019/03/07(木) 00:09:02.74 ID:zdTocXwp9 天皇に代わって伊勢神宮の祭祀(さいし)をつかさどる「斎王」の宮殿などがあった三重県明和町の斎宮(さいくう)跡(国史跡)で、飛鳥時代後半(7世紀後半~8世紀初め)の宮殿を囲った塀跡と宮殿の一部とみられる大型建物跡などが見つかった。同町の斎宮歴史博物館が6日、発表した。 天武天皇の娘で、初代斎王の大来皇女(おおくのひめみこ)の宮殿跡の可能性があり、同博物館は「天皇の権威付けとして伊勢神宮と天皇家との関係が強くなる時代に、天皇を中心とした国の形が定まっていく様子が分かる貴重な発見だ」としている。 斎宮跡は東西約2キロ