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「三百諸侯英才随一」幕末における傑出した大名・島津斉彬の凄さとは?生い立ちと曾祖父・重豪の存在 幕末維新史探訪2024(17)島津斉彬と幕末政治-日本近代化の基礎を築いた巨星① | JBpress (ジェイビープレス)
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「三百諸侯英才随一」幕末における傑出した大名・島津斉彬の凄さとは?生い立ちと曾祖父・重豪の存在 幕末維新史探訪2024(17)島津斉彬と幕末政治-日本近代化の基礎を築いた巨星① | JBpress (ジェイビープレス)
(町田 明広:歴史学者) 傑出した存在、島津斉彬の凄さ 幕末期には、おおよそ260ほどの藩が存在し、そ... (町田 明広:歴史学者) 傑出した存在、島津斉彬の凄さ 幕末期には、おおよそ260ほどの藩が存在し、そのトップに大名が据わっていた。江戸時代を通じれば、その何倍もの大名がいたことになるが、歴史に名を残して、今なお語り継がれている存在となると、極端に少数になってしまう。その中でも、ずば抜けた存在こそ、薩摩藩第11代藩主の島津斉彬なのだ。 斉彬の聡明・英邁さが広く流布していた証拠をお目にかけよう。世子時代の近臣である山口定救(さだすけ)の記録「覚えの為書き留め置く也他言無用の事」によると、「文政12年(1829)、公(斉彬)が20歳の時、江戸城内では、幕府の役人や登城の諸侯が、兵庫頭殿(斉彬)は大名にしておくには惜しい人だ。公を小身の大名にして幕府の老中にして、幕政を担当させたい」と語り合っていた。山口は、誠に名誉な事で感激のあまり、胸が一杯になったと述懐している。そして、藩主になると「三百諸