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米軍実弾演習阻止の闘いの地---喜瀬武原(きせんばる)から恩納岳を望む - チョイさんの沖縄日記
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米軍実弾演習阻止の闘いの地---喜瀬武原(きせんばる)から恩納岳を望む - チョイさんの沖縄日記
(正面が恩納岳。右側が米軍の実弾演習で禿山となった金武岳、ブート岳。県道104号線から) 沖縄に来て... (正面が恩納岳。右側が米軍の実弾演習で禿山となった金武岳、ブート岳。県道104号線から) 沖縄に来てしばらく経った頃、海勢頭豊のコンサートに行ったことがある。その時聞いた「喜瀬武原」の歌の調べが忘れられない。この歌は、復帰直後に始まった米軍の実弾砲撃演習阻止の闘いの中で生まれたものだ。 平良修さんは、この歌について、「運動の中から私たちが生み出し、静かに深く、激しく高く、くり返し歌った『きせんばる』は、私たちにとって今なお力であり続けている。」(『硝煙の日々 沖縄刑特法裁判闘争の記録』)と書かれている。 海勢頭豊「喜瀬武原」 (歌詞は末尾に掲載) 8月21日(日)、その現場に行きたいと金武町から県道104号線を辿り、喜瀬武原を訪ねた。 当時、米軍は、県道104号線を封鎖し、キャンプハンセンから恩納岳方面に向かって155ミリ砲の実弾砲撃演習を続けていた。生活道路を一方的に封鎖し、住民の頭ご