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ノモンハン事件を検証しなかった日本、そして今また・・・ - そりゃおかしいぜ第三章
もうかなり前のことである。中国戦線に二回行ったという、酪農家の古老がいた。酒が進むと、アルミのへ... もうかなり前のことである。中国戦線に二回行ったという、酪農家の古老がいた。酒が進むと、アルミのへちゃげた弁当箱を持ち出してきた。一目でかなりの年代物とわかる品物である。爺様はこの弁当を腰に巻いて、弾がこれにあたって一命をとりとめたというのである。 場所はソ満国境の”ノモンハン”であるというのである。こんなに近くに日本が泥沼の戦争に入っていった、引き金というか象徴的事件を体験した人がいたことに驚いた。 爺様はほとんどの戦友をその時亡くした。1936年(昭和14年)のことである。九死に一生を得た農家の次男坊だった爺様は故郷の長野に帰り、二年ほどして再び中国戦線に駆り出されその地で終戦を迎える。戦後は北海道に入植し酪農をすることになる。 爺様はノモンハンについては、弁当箱で偶然生き残ったこと以外はほとんど聞いても話すことはなかった。ノモンハンは、単なるモンゴルと満州国の国境紛争ではない。日本の傀
2016/08/22 リンク