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野村克也が“史上最強ピッチャー”と断言「38勝4敗の男」…直前で消えた“幻の日本人メジャー第1号”杉浦忠の伝説「メガネ姿のアンダースロー」(太田俊明)
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長嶋茂雄と立教で同期…杉浦忠とは? WBCの優勝で例年以上に盛り上がりを見せるプロ野球だが、日本野球の... 長嶋茂雄と立教で同期…杉浦忠とは? WBCの優勝で例年以上に盛り上がりを見せるプロ野球だが、日本野球の黎明期は東京六大学野球の方がはるかに人気があった。プロ野球が人気・実力ともに頂点に立ったのは、“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の登場によるところが大きいと言われている。 その長嶋と立教大の同期で、投打の両輪として活躍した杉浦は、同大の黄金時代を築いたスーパースターだった。卒業後は、二人揃っての南海入りが確実視されていたが、長嶋が突然巨人入りを表明。親友だった2人は、セ・リーグとパ・リーグに分かれて日本一を争うライバルになった。 杉浦は、ルーキーイヤーの1958年に南海の開幕投手を務めて、27勝12敗、防御率2.05でパ・リーグの新人王を獲得。一方の長嶋も、新人ながら巨人の四番を張り、本塁打29、打点92、打率.305で、本塁打、打点の2冠に輝き、打率と盗塁も2位。当然のようにセ・リーグの新人王

