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豊臣秀吉でも上杉景勝でも石田三成でもない…家康が生涯で最も苦しめられた戦国最強の「くせもの武将」 家康に敵対し続けたのに、明治維新まで家を残した
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戦国時代に活躍した真田昌幸とはどんな武将だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「自国の領土と家を... 戦国時代に活躍した真田昌幸とはどんな武将だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「自国の領土と家を守るためなら、主君に歯向かうことも、主君を変えることも厭わないくせものだった。家康は昌幸に翻弄され続け、生涯苦しめられた」という――。 家康を悩ませ続けた戦国最強の「くせもの武将」 ラストに近い場面で並々ならぬ存在感を示したのは、佐藤浩市が演じる真田昌幸だった。NHK大河ドラマ「どうする家康」の第35回「欲望の怪物」。 天正15年(1587)2月、それまで越後(新潟県)の上杉景勝についていた信濃(長野県)の国衆の真田昌幸は、大坂城の羽柴秀吉の元へ出仕。その際、徳川家康に帰属するように命じられ、同年3月18日、駿府城(静岡県静岡市)に家康を訪れている。ドラマで描かれたのは、そのときの場面だった。 家康重臣の酒井忠次(大森南朋)が「しからば沼田の地を北条に渡してくれますな」と問いかけても、昌幸は黙っ