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藤原道長の栄華の裏には「謎の失火・病死」があった…「係長」だった平凡な男が最高権力者になれた理由 皇后・定子の父、道隆との決定的な違い
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藤原道長は関白・兼家の五男として生まれ、若いころはなかなか出世できなかったという。そこからなぜ最... 藤原道長は関白・兼家の五男として生まれ、若いころはなかなか出世できなかったという。そこからなぜ最高権力者になれたのか。歴史小説家の杉本苑子さんと永井路子さんの共著『ごめんあそばせ 独断日本史』(朝日文庫)より、2人の対談を紹介する――。 だれの娘が皇子を生むかどうかの競争 【杉本】摂関体制下での布石の第一歩は、まず娘を入内させるわけだけど、天皇を自分の家に連れて来るわけにいかないから、宮中に娘の居場所をしつらえて、女房をはじめ家具調度、何もかも運びこんで、天皇を婿に取りこむ……。 【永井】そう、ずいぶんいろいろな物を運びこんじゃうのよね。 【杉本】この外祖父母の力こそ、摂関政治を語る場合、見逃せない大問題だと思う。 【永井】そうね。だけど外祖父母の力は、娘が天皇にお嫁に行っただけではダメなんですよね。 【杉本】そうなの。皇子を産まなきゃ。 【永井】皇子を産んで、それが皇位を約束されるところ