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国道16号線で日本史の「謎」を解く
玄関脇の八重ヤマブキが4月下旬に咲き終わった。八重ヤマブキと言えば太田道灌。 〈七重八重花は咲けど... 玄関脇の八重ヤマブキが4月下旬に咲き終わった。八重ヤマブキと言えば太田道灌。 〈七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき〉 道灌が鷹狩りで雨に遭い、農家に寄り雨具の簑(みの)を所望したところ、娘が山吹の小枝を差し出した。道灌は怒って帰ったが、後に家臣から有名な山吹の古歌(兼明親王『後拾遺集』)があることを聞き、自分の無学を恥じ、以後精進して立派な歌人になった、というエピソードが広く知られている。 しかし、15世紀の武将、太田道灌で連想するのは、この逸話と江戸城築城くらいだ。 日本の高校生の多くが学ぶ山川出版社の教科書の最新版にも太田道灌の名前すらない(そもそも江戸以前の関東の記述が非常に僅少だ)。 ところが、日本史の謎を解く上で、太田道灌の存在がとても重要であることを、今年著者インタビューで取り上げた柳瀬博一著『国道16号線「日本」を創った道』(新潮社)を読んで初めて知った。