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中島みゆき「時代」②~ヤマハ音楽振興会の創始者だった恩人に捧げる言葉「DAD 川上源一」|TAP the SONG|TAP the POP
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中島みゆき「時代」②~ヤマハ音楽振興会の創始者だった恩人に捧げる言葉「DAD 川上源一」|TAP the SONG|TAP the POP
第6回世界歌謡祭の舞台でグランプリを受賞して「時代」を歌う際に、中島みゆきはオーケストラの伴奏を制... 第6回世界歌謡祭の舞台でグランプリを受賞して「時代」を歌う際に、中島みゆきはオーケストラの伴奏を制して自分のギター一本でうたった。 そこには自分を発掘してくれた恩人、川上源一へのお礼の気持ちが込められていたという。 ヤマハ音楽振興会の理事長の川上は戦時中に飛行機のプロペラを作っていた日本楽器(ヤマハ)を、戦後復興の中で世界一のピアノ・メーカーに成長させた経営者として知られている。 1969年に「ヤマハ・ポピュラー音楽コンテスト」(通称・ポプコン)を創設した川上は、全国から寄せられた応募曲を聴いて自らすぐれた曲をチェックするなど、当時の商業主義とは異なる新しい音楽の発展に注力していた。 オーストラリアで楽器のディーラーをしているユダヤ人が日本を訪れたとき、川上は応募曲の中から「合歓の郷 野外ホール」で開かれる大会で発表することになっていた、40曲あまりのテープを聞いてもらったことがあった。