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若い女性が満州で聞いた朝鮮人慰安婦の話
コメント欄で喪黒福造さんが教えて下さった第三者による証言。桂心豊というこの女性は、詩吟の宗家。漁... コメント欄で喪黒福造さんが教えて下さった第三者による証言。桂心豊というこの女性は、詩吟の宗家。漁火通信(2010.10.1)によると、彼女は若い頃満州開拓団の団長であった父に連れられて満州に渡り、満州の洋裁学校を卒業後満鉄に入社した。 ある時、休暇中に新京郊外のにあった「ピー屋」に迷い込む。そこで見聞きした話を語っている。漁火通信の方が詳しいが、そこで彼女が出会ったのは、二十歳ぐらいの朝鮮人女性。日本語は流暢であった。三年働けば家が建つと隣村の周旋屋に説得されて満州に出稼ぎに来ていた。前線に出て行く兵隊からもらうチップもよい収入になると語っていたという。昭和18年(1943年)の話だという。 証言者が赤線と言っているように(漁火通信)、公式の慰安所かどうかは分からない。また時期によって、場所によって慰安所の状況は様々だったから、この証言を持って日本軍の慰安所というものに対するイメージを固め