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池田信夫 blog : 「吉田清治」はサハリン訴訟で生まれた
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池田信夫 blog : 「吉田清治」はサハリン訴訟で生まれた
2016年04月26日 09:15 カテゴリ 本 「吉田清治」はサハリン訴訟で生まれた 「従軍慰安婦」という言葉は... 2016年04月26日 09:15 カテゴリ 本 「吉田清治」はサハリン訴訟で生まれた 「従軍慰安婦」という言葉は、1965年の日韓基本条約にはなく、70年代までは誰も知らなかった。「私が慰安婦狩りをやった」という当事者が名乗り出てきたのは、本書のテーマになっているサハリン訴訟が最初だ。これは終戦直前にソ連軍がサハリンを占領したとき、現地に住んでいた日本人と朝鮮人を抑留した事件だ。 その帰還をめぐって各国政府や赤十字がソ連と交渉していた中で、高木健一などが「韓国人帰国訴訟」を起こした。これは韓国人を日本に帰国させる費用を日本政府が負担せよという請求だった。その理由は 日本軍が韓国人をサハリンに強制連行した からだというのだが、そんな事実はない。彼らを抑留していたのはソ連なのだから、日本政府が受け入れを表明しても帰国はできない。 この荒唐無稽な主張を裏づける証人として登場したのが「吉田清