エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
旧草軽電鉄の歴史を語る『北軽井沢』駅舎 | 北軽井沢 じねんびと
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
旧草軽電鉄の歴史を語る『北軽井沢』駅舎 | 北軽井沢 じねんびと
スイスの登山鉄道を模して、新軽井沢から草津温泉間を結んだ草津軽便鉄道が誕生したのは、1915年(大正... スイスの登山鉄道を模して、新軽井沢から草津温泉間を結んだ草津軽便鉄道が誕生したのは、1915年(大正4年)です。その目的は、草津温泉をはじめ沿線の旅客輸送とともに、物資及び木材、薪炭、硫黄などの貨物を輸送し、地域の発展に努めることをあげていました。 開業時は、新軽井沢~小瀬(後の小瀬温泉)まででしたが、順次草津まで路線を延長し、蒸気機関車から電気機関車へと切り替え、1926年(大正15年)には、全長55・5kmの全線が開通し、片道約3時間半をかけて走りました。この間に約22の駅が設けられ、そのうちの一つが「北軽井沢」駅でした。 終戦直後の昭和21年(1946年)には、46万人という乗客を記録しましたが、相次ぐ台風の被害や急速な自動車輸送の発展により、草軽電鉄は1962年(昭和37年)に廃線となりました。次々に線路や駅舎が姿を消していくなか、当時の姿を現在までとどめた唯一の遺産が『北軽井沢』