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1707年 宝永地震|古地震.net
1707年10月28日14時ごろ 日本最大級の巨大地震 わが国最大級の地震の一つ。全体で少なくとも死2万、潰家... 1707年10月28日14時ごろ 日本最大級の巨大地震 わが国最大級の地震の一つ。全体で少なくとも死2万、潰家 6万、流出家 2万。震害は東海道・伊勢湾・紀伊半島で最もひどく、津波が紀伊半島から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲った。津波の被害は土佐が最大。室戸・串本・御前崎で 1~2m隆起し、高知市の東部の地約 20km2が最大 2m沈下した。遠州灘沖および紀伊半島沖で二つの巨大地震が同時に起こったとも考えられる。[1] 震害・浪害ともにきわめて大きかった。潰家は東海、近畿中部・南部、四国のほか、信濃・甲斐でも多く、北陸・山陽・山陰・九州でも生じた。 津波は房総から九州に至る太平洋岸を襲ったほか、瀬戸内海に入り、また八丈島にも上った。その被害は高知県沿岸できわめて大きく、紀伊半島~伊豆西岸で大きかった。太平洋岸の地方では、震害と浪害がはっきり区別できない史料が少なくない。 山梨県下で