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記者の目:震災1年 風化繰り返した過去の悲劇=熊谷豪 - 毎日jp(毎日新聞)
三陸沿岸部は、明治維新以降に限っても、明治(1896年)、昭和(1933年)、チリ地震(1960... 三陸沿岸部は、明治維新以降に限っても、明治(1896年)、昭和(1933年)、チリ地震(1960年)と3度、大津波に襲われてきた。だが、「海辺に住むな」「高台に逃げろ」というそれぞれの津波が残した教訓は、早急に風化し、十分には生かされてこなかった。東日本大震災では約1万9000人が死亡したり行方不明になったりした。今度こそ、震災の悲劇と、その教訓を忘れまい。 33年の昭和三陸津波の後、宮城県が今日でも通用するような、さまざまな復興政策を実施したことはあまり知られていない。 ◇復興記念館も次々取り壊し 震災を永久に記録しようと、全国から寄せられた義援金をもとに、県内32カ所に建てた復興記念館もその一つ。震災資料の展示や記念行事を行うほか、講演や教育の場としても地域住民が利用できた。 だが老朽化による取り壊しで、昨年3月の震災前に残っていたのは5館のみ。震災記録に興味を持ち、記念館の現状を調査
2012/03/14 リンク