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note.com/dreamy_harte2318
散々擦り倒している、私の母の話です。 もう私の母の件を知っている友人、知人各位は「またか」と思いながら本記事を読むか、「またか」と思いながら私と友人、知人関係を続けてくれると嬉しいです。 私のことをご存知ない方に改めてお話すると、私は27年間失踪していた母親をTikTokで発見するという、数奇な体験をしています。 詳しくは上記をご覧ください。 今回は上記の記事の「続き」についてちょっとだけ記します。 前回の記事を踏まえて記述する箇所もあるので、わかりにくかったらすみません。 本記事は寄稿する合同誌の宣伝も兼ねていますので、母の話を掻い摘んで読みたい方は、目次をご利用ください。 なんで母親のこと擦るの?複雑。 未だに、私は母に対しては複雑な思いを抱いています。 母のことは「好き寄りの嫌い」になりました。 「27年間失踪していた母親をTikTokで見つけました」よりそう。私は今「好き寄りの嫌い
お母さんのこと、好きですか? 私はそんなに好きじゃありません。 私を産み落とし、ひとつの命としてこの世に放ってくれた事実には感謝しています。 そのことを思えば、私はそれなりにいい人生を歩んで来られたと言えるでしょう。 ただ、母に感謝できることと、母のことを愛せるかどうかはまったく別のお話だと私は思っています。 母は、私を産んでから27年間失踪していました。 この記事は、私が母親をTikTokで見つけるまでの記録です。 「好きじゃない」し「嫌いじゃない」母に思っていたこと母のことを「そんなに好きじゃありません」と言える人間の胸中。 そこには憎しみや怒りとかいった激情が渦巻いていそうなものですが、そのような感情は私の中に殆ど存在していません。 私を捨てたという事実から「好きじゃない」のです。 でも、感謝をしているから「嫌いじゃない」のです。 パッとしません。 だって母を好きになろうにも、嫌いに
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