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万葉集と古代の巻物 我が心ゆたにたゆたに(作者未詳):「心」の発見
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万葉集と古代の巻物 我が心ゆたにたゆたに(作者未詳):「心」の発見
(国分寺万葉植物園にて。5月) 私たち人間は、「心」の存在を、いつから意識し始めたのでしょうか。 歌... (国分寺万葉植物園にて。5月) 私たち人間は、「心」の存在を、いつから意識し始めたのでしょうか。 歌の歴史の中では、「心」というものを見つめるようになるのは、『万葉集』において、それも比較的新しい時代(8世紀)の恋歌においてのようです。 巻7に収められた「出典不明歌」に、次のような歌があります。 吾情湯谷絶谷浮蓴辺毛奥毛依勝益士(巻7・1352) 我が心 ゆたにたゆたに 浮き蓴 辺にも沖にも 寄りかつましじ (あがこころ ゆたにたゆたに うきぬなは へにもおきにも よりかつましじ) 〔訳〕私の心は、ゆったりとしたり、ゆらゆらと動揺したりする、浮き「ぬなわ」のよう……、岸の方にも、沖の方にも寄りつくことができないでしょう。 *ゆたに=ゆったりと。 *かつ=可能を表す。〜できる。 *ましじ=否定的推量を表す。〜しないであろう。 相手の男性の誘いを受け入れられず、そうかといって相手を拒絶すること