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【ヤマカン】山本寛「かつて“萌え”はロックだった。だが今はどうだろう?」|まとめいと
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【ヤマカン】山本寛「かつて“萌え”はロックだった。だが今はどうだろう?」|まとめいと
1 名前: デ・ジ・キャラット(チベット自治区)[] 投稿日:2011/01/11(火) 19:31:14.66 ID:2cQjBL9f0 「... 1 名前: デ・ジ・キャラット(チベット自治区)[] 投稿日:2011/01/11(火) 19:31:14.66 ID:2cQjBL9f0 「萌え」はロックであった 1974年の第一次アニメブーム以降長きに亘り「カウンターカルチャー」の怪気炎をあげていたはずのアニメ界は次第に、 SF・ファンタジーなどを中心に、予備知識や教養など無しでは観られない、観ることを許してくれないある種の「スノビズム」に汚染されてしまった。 この固着化した空気を打破する新たな「カウンター」として登場したのが「萌え」という概念であった。 この変化は私が学生の頃。肌感覚で確かに憶えている。 20世紀も本当に終わりの頃だ。 言わば「萌え」が「ロック」だった、そんな時期があったのだ。 だが今はどうだろうか? 「萌え」という名の「動物化」されたファシズムが覆い尽くしてはいまいか。 時代の必然でもあるが、誰もが今その皮肉を噛み