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私のささやかな「人文学」 | THE NEW CLASSIC
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私のささやかな「人文学」 | THE NEW CLASSIC
本稿はブログ「みちくさのみち」からの転載。「みちくさのみち」は歴史学を中心に、人文学や教養に関す... 本稿はブログ「みちくさのみち」からの転載。「みちくさのみち」は歴史学を中心に、人文学や教養に関する読み応えのある記事を特徴とするブログである。 ところで「人文学」というのは結局何なのだろうか――と、この半年くらい(正確にはもうちょっと長い間)考えている。 「人文学」という言葉の由来については、私自身、過去に気になって語誌を辿ってみたことがあるのだが、1920年代には「人文学」は「地文学」に対応する言葉…学問領域でいうと、今でいう「人文地理学」とほぼ同義で用いられていたらしい。 「人文」については、「文化」という訳語が成立する前の単語という見方もできる。大正時代に「文化」という単語がはやったというのは割と色んな本に書いてある事柄だが、「文化」に相当する語として、明治から「人文」が使われていた。 西周が書き、山本覚馬が発行した『百一新論』には、「人文ノマダ十分ニ開ケナイ間ニハ法トモ教トモ就カヌ