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資料紹介 永岡鶴蔵自伝「坑夫の生涯」、『二村一夫著作集』
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資料紹介 永岡鶴蔵自伝「坑夫の生涯」、『二村一夫著作集』
〔資料紹介〕 永岡鶴蔵自伝 「坑夫の生涯」 まえがき 永岡鶴蔵(1863~1914)といえば、一般には、南助松... 〔資料紹介〕 永岡鶴蔵自伝 「坑夫の生涯」 まえがき 永岡鶴蔵(1863~1914)といえば、一般には、南助松とともに「足尾暴動の指導者」として知られている。しかし、この呼び名は正確ではない。彼は決して「暴動」の指導者でも扇動者でもなかったから。また彼の名は「足尾暴動」によつて歴史に残ったが、彼の活動の舞台はただ足尾一山だけではなかったから。むしろ彼の名が記憶さるべきであるのは、日本の労働者階級が苦しいたたかいを通して「自らの中から生み出した労働運動の指導者」としてであり、あの悪名高い治安警察法の下にありながら、全日本の鉱山労働者を打って一丸としようとした「日本坑夫組合の組織者」としてである。 ここに紹介する「坑夫の生涯」は、彼の簡単な自伝であり、彼が17歳で坑夫となってから次第に労働運動の指導者に成長して行く過程が、いきいきと記されている。これによって、われわれは、たんに永岡の生涯を知る