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のりみ通信 紙の砦:手塚治虫と通年動員~大阪石綿を共に
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のりみ通信 紙の砦:手塚治虫と通年動員~大阪石綿を共に
4月14日、北野高校で行なわれた六稜トークリレー「紙の砦:手塚治虫と通年動員~大阪石綿を共に」に... 4月14日、北野高校で行なわれた六稜トークリレー「紙の砦:手塚治虫と通年動員~大阪石綿を共に」に参加してまいりました。 講師の金津博直さんは、北野中学3・4年が手塚治虫と同じクラス。59期の入学試験は書類選考と口頭試問のみでした。当時の校長先生は長坂五郎先生。あだ名はオットセイで温厚で自由主義の先生だったそうです。(⇒六稜WEB 歴代校長 参照) 「手塚君の美術の成績は、優良可の三段階評価の欄に秀がついていたほど絵が上手かった。美術の岡島吉郎先生(※)は大変手塚君のことをかわいがっていた。」と回想されていました。 (※岡島吉郎先生⇒六稜WEB がちゃぼいまんが道 参照) しかし、そんな北野中学にも次第に戦争の影が。黒い学生服は国防服に。ただ、正面に六稜の星がついた黒い制帽と白いゲートルだけはそのままだったそうです。手塚先生が描いたこの絵には、その制帽とゲートルが描かれています。 戦況は次第