エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/0c3a38c41aeb08c713c990efb1b369be703ea86c/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/0c3a38c41aeb08c713c990efb1b369be703ea86c/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
キャラを描くには - オタク商品研究所plus
自分は古くさい人間なので、「すべてはキャラありき!」でくくられると、どーしても「お話が無くっちゃ... 自分は古くさい人間なので、「すべてはキャラありき!」でくくられると、どーしても「お話が無くっちゃ駄目なんだ!」と青臭い反論をしたくなります。 私も「話などいらん!」と一刀両断にされたことに。少なからずショックを受けてる一人なので、何故こうなってしまったかも、考えてみたいと思います。 私の思う、ストーリーの基準とは、「何でもない人間が、何らかの試験に巻き込まれて、成長なり環境が変わったする」状況が変化することに重点を置いています。 これに対し「キャラ主導」というのは「この人間が何をするか」に重点が置かれているものと考えます。 ストーリーとキャラは両輪であるべきと言うのが、折衷案として良さそうですが、だいたいどっちつかずです。個性の強い俳優はそれなりの役どころを与えられているから輝くのであって、平凡な一般人をやると物足りなくなってしまいます。 緻密な物語で魅せるのも作家のキャラ立ちとも言えます