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『「神道」の虚像と実像』井上寛司(講談社現代新書 2109):昼食難民の新書生活
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『「神道」の虚像と実像』井上寛司(講談社現代新書 2109):昼食難民の新書生活
『「神道」の虚像と実像』井上寛司(講談社現代新書 2109) 著者は、「神道が太古の昔から現在に至るま... 『「神道」の虚像と実像』井上寛司(講談社現代新書 2109) 著者は、「神道が太古の昔から現在に至るまで連綿と続く、自然発生的な日本固有の民族的宗教である」という現在広く受け入れられている説を否定するために本書を書いたようだ。 本書の前半は、律令以来の宗教史に割かれている。 神籬(ひもろぎ)や磐境(いわさか、磐座)などの神降ろしの地に常設的な神殿が建築された神社と呼ばれるようになったのは、掘っ立て柱の建築しかなかったわが国に中国から最新の寺院建築が導入され、それに対抗するためだったという。もちろん、建築物だけの問題ではなく、国家鎮守のための宗教として壮大な宇宙観を備えた仏教に対抗するには、教義や経典、救済思想をもたない神祇信仰はいかにも貧弱に思えたことだろう。 『日本書紀』の天武十年正月に「畿内及び諸国に詔して、天社・地社の神の宮を修理せしむ(詔畿内及諸国。修理天社。地社神宮。)」とある。