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第6回 当事者研究とアーキテクチャ
左翼が本来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのた... 左翼が本来持っていたダイナミズムが失われて久しい。いまや自壊した左翼は「大同団結」を唱え、そのための合言葉を探すだけの存在になってしまった。怠惰な団結をきれいに分離し、硬直した知性に見切りをつけ、横断的なつながりを模索すること。革命の精神を見失った左翼に代わって、別の左翼(オルタナレフト)を生み出すこと。それがヘイト、分断、格差にまみれた世界に生きる我々の急務ではないか。いま起きているあまたの政治的、思想的、社会的事象から、あたらしい左翼の可能性をさぐる連載評論。 (承前)とはいえ、吉本隆明が念頭に置いていたはずのヘーゲルの市民社会論においてすでに「深刻的な道徳的分断」が見られるのである。社会学者の稲葉振一郎が指摘するように、同じく「規範理念」としての「市民社会」の源流となったアダム・スミスに比べて、ヘーゲルの市民社会論は「労働」という「陶冶」を重視したものの、実は「道徳的に分断されている