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硫黄島戦没者追悼式に参加して --- 駒崎 弘樹
初めて、祖父の亡くなった硫黄島の土を踏んだ。 東京都が主催する、硫黄島戦没者追悼式に参加したのだっ... 初めて、祖父の亡くなった硫黄島の土を踏んだ。 東京都が主催する、硫黄島戦没者追悼式に参加したのだった。 硫黄島は羽田空港から飛行機で2時間。遺族や関係者の方々 60人くらいが集まった。 遺族の方々は戦死者のお子さんの世代の方々が主で、36歳の僕が最年少だった。 僕の祖父の高橋金蔵は埼玉県の豪奢な造り酒屋の三男だった。 20代前半で戦地に赴き、硫黄島でその他2万人の方々と同様の最期を遂げた。 金蔵からの手紙が、実家に何枚か残っている。 その手紙のほとんどに、まだ小さな息子(後の僕の父親)を思いやる言葉が並んでいた。 今、自分が2児の父になって、その気持ちが痛いほどよく分かるようになった。自分の身が危ないのに、なお子どもを心配してしまう、そんな気持ち。 だから、以前から行きたかった硫黄島に行くことにした。 父になった今、行かなきゃいけないような気がした。 硫黄島守備部隊は、「一日耐えれば、一日